札幌市東区隠れ家的一軒家サロン

アロマ&ボディヒーリング

ティダ・アヤの長浦です🙏



2月に94歳で亡くなった祖父の

この夏は初盆です。

若かりし頃の祖父。

→若すぎて最初誰だかわからなかった…


長浦家のお墓参りは今年早々と済ませ、

実家は納骨堂なので

こちらもお盆前にお掃除&お参りに

行ってきました🚗


お盆のお花(菊)はたくさんありますが、

まぁるくハッキリした

赤と紫色のエゾギク(アスター)

今回からお盆の献花はエゾギクです💐





昨日は終戦記念日。


日本中どのご家庭でも

ご先祖達が巻き込まれた先の大戦。


北海道も戦後の混乱の中で

あぶなくロシアの領土に

なっていたかもしれないのです。


当時、

陸軍軍人・暗号手として

終戦を迎え、

直後、ソ連に拉致され

シベリア抑留生活を送った

祖父の戦時中の話を

ほんの少しご紹介したいと思います。



昭和19年、旭川北部四部隊に入隊。

歩兵砲小隊で3ヶ月の訓練後、

広島で暗号手としての特業教育を受ける。


その中で4名選抜(祖父はそのうちの1名)

ソ連関係と米関係に2名ずつに分かれ訓練を受け、修了後は平賀通信隊進藤隊に転属となる。


昭和20年春、

北千島へ派遣となり

同年8月通信隊で逸速く終戦を知った。


9月、武装解除となり、

ダモイと云われ、

持てる荷物を全て抱え貨物船に乗るも、

樺太真岡に寄港し給油後、

船底に詰められて外界と遮断され

ソ連の監視下 北へ進む。


帰国は絶望となり、

ソ領ニコライエフスクに到着。


所持品は消毒すると騙され

全て没収された。


収容所に入所後(シベリア抑留)

零下35度〜56度となる酷寒の中で

伐採作業、石山の作業に従事する。


過酷な作業に加え、

配給の食料と云えば、

黒パン、スープ主体の粗食で、

初めての冬を越せずに多くの戦友が逝去。


一度石山の作業に出たら帰ることは出来ず、

交替もなくこの石山で亡くなった同胞の数は

知れない。


収容所より

唯一人港湾の荷役作業に駆り出された時、

食料を調達して持ち帰り

戦友に分けた事もあるという。


気力だけで幾多の試練に耐え、

昭和22年7月舞鶴に復員する。





祖父の経歴の中から抜粋した

この短い文の中に、

生死に関わることが

何度あったことだろう……


想像を絶します。


生前に聞いた話は、

この他にもたくさんありましたが、

覚えているのは、

抑留中に一度 病気にかかって

死にそうになったこと。


意識朦朧とする中で

ソ連兵から注射を打たれたそうです。




「もうダメだから注射を打たれて殺されるのか」




と、

祖父はこれで最後と覚悟していたら…


たまたま注射が効いて助かったのだと。

ソ連側で新しい薬を投与して助かるか?

助からないか?の実験をしていて、

死にそうな日本人(祖父)が

人体実験にされたと。


そんな幾多偶然と奇跡、

生死の境を越えて、

いまの私の命が繋がっています。



もう感謝の言葉しか出てこない。。。





74年目の終戦の日を終えて

日本の国を守るために

戦ったたくさんの方々ありがとうございます。


生き延びて命を繋いでくれたご先祖の皆さま

ありがとうございます。


感謝🙏🙏🙏









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