天災、戦争など含めて、いつやって来るか分からない有事、やはり備えは必要だなと改めて認識する日々。
ただ、こういう時の物資の買い占め心理、過剰に関連市場が動くことに対しての嫌悪感があまりにもひどい。
健全な日々を常に願ってる。
6/29、浜大津ビーフラ、振り返り、
そう、スカフリ先輩20周年イベント、アフターパーティーで歌わせていただきました。
久しぶりに人前で歌わせてもらったんですが、拍手、歓声、野次、その全てが愛おしく、自身が作った音楽に人が反応してくれるってのは本当に素晴らしいことだと改めて認識しました。
弾き語り、お付き合い頂いた方々、ありがとうございました、酒を呑み交わしながら最高に楽しんだ。
イベント前半では8年ぶり?にスコットランドガールがライブするってことで、その瞬間をずっと待ち続けていたファンの方達のエネルギーが爆発していた。
誰もが喜んだ瞬間、もちろん僕もスコットの1ファンであり、あの3人が再び灼熱のビーフラットで音を鳴らしていることに心底感動した。
友達が帰ってきてくれたぞ、マジでありがとう、って僕は勝手に感謝してます。
そして、何よりの話、
地元の先輩であるスカフリークスにはキッカケをもらい続けてるばかり。
今までに何か返せたか?
と考えると頭が上がらない。
どうしたらいいか?
そうやって悩む時間がもったいない、モタモタすんな、さっさと動けってケツを叩かれている気がします。
いや、叩いてもらってます、それもずっと、すみません。
本当にいつもありがとうございます。
背中ばかり追いかけるのもそろそろにしなきゃな。
時系列で辿る、7月末、レコーディング1日目、
ニュードラマーのぶーちゃんと共に製作した渾身の一曲を録音。
ん、ニュードラマー?
付き合いが古すぎて、『ニュー』という言葉が逆に古く聞こえる、文字にして視覚で見ると余計に。
当時、交わることはなかったけれど、僕とぶーちゃんは中学校が同じ、バッキバキの近江八幡人。
なんとなく分かる、互いに学校のカースト制度で言うなら目立たない部類、燻った学生生活を過ごしてきたんじゃないだろうか(ぶーちゃん、違ったらごめん、もし一軍やったらごめん。爆)
アー写、僕が中学校時代に近江八幡マイカルでヤンキーにカツアゲされて、後藤真希のポスターが買えなかったストーリーを話してるときの一コマ、
両側2人とも笑い過ぎやろ、悔しかったんや、ヤンキーを恐れた自分を呪った、後藤真希に合わせる顔がなかった、悔しかったんや、
ええ写真。
新体制、
新体制になった時の『新曲』、
それは名刺のようなもの。
名刺、ビジネスシーンにおいては挨拶する時のマストアイテム。
忘れましたとか、作るのが間に合いませんでしたは言い訳、無礼。
ビジネスではないにしても、なんとしても一曲は完成させてからライブがしたいと考えていた。
そして、本来ならこの夏に皆さんに音源としても完成させて、ライブ前に聴いてもらう予定だったんですが、スケジュールがどうしてもずれ込んでしまった。
音源の完成、世に放つのはおおよそで年内、そう伝えておきます。
1人でも待ってくれている人がいると信じて、時間とお金をかけて製作してます。
よろしくお願いします。
イートザロック、
バンド上半期、これに向けてずっと動いていた。
年間に何本もライブをこなしているバンドからすれば、何本もあるうちの一本に過ぎないライブも、我々にとってはとてもデカく、嫌でも目標の真ん中に来る。
価値観は変わっていないようで変わっている、それは生活に変化が起きている証なんだろう。
ライブを観てくれた人達の記憶、暑すぎる日差し、美味かったビール、友達と笑い合ったあの一瞬、なんでもいいから、ライブの日のことを少しでも思い出してもらえる部分があるなら、それは本望です。
音楽は日々の生活に楽しみや豊かさを添えるためにあるもの、ストックが足りなくなってきたら、またライブに来ればいい、なんなら僕らの音楽がそのお供になれば本当に嬉しい。
僕らはもう少し歴史を刻みます。
そろそろ『俺たちは何年続けてきたんだ!』って自負も結果に変えなきゃならないと思ってます。
何をもって結果とするかは自己満でしかないけれど、納得して死ねるまで、辿り着いてはまた遠ざかっていくゴールに向かって歩みを進めていきます。
それではまた。