月刊優駿の9月号は 創刊70周年企画として
優駿のバックナンバーを紹介しながら 日本の競馬を振り返る内容。
前編の9月号は1941年から1979年。
セントライトが三冠馬になったころからいわゆる「TTG」が盛り上がったころまでを紹介。

昔を振り返る記事の中で気になる記述が。
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1948年(昭和23年)に制定された新競馬法によって
日本の競馬は国営と地方の二本立てとなり、
日本競馬会の競馬は国営として行われることになる。
しかし当時の人気は地方競馬のほうが高かった。
競走馬も地方に流れ51年(昭和26年)の春には存続が危惧されるほど
国営競馬は低迷していた。
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地方競馬のほうが人気があった時代が少なからずあったのである。
いまと違いなかなか情報が流通しない時代。
そうなるとおらが村の身近な競馬に人気があったのも頷ける。
戦後まもなくのころには、全国のあちこちに競馬場があって
廃止や休止を繰り返しながら、現在に至っています。
DVDの特集はダンスパートナー。
この馬のデビュー戦は小倉競馬場。
ゲートが開くと同時に6馬身ほどの出遅れがあったものの
3コーナーから一気のまくりを決め、1番人気に応え新馬勝ち。
その後のオークスを勝ち、古馬になってからエリザベス女王杯を勝ったのは記憶にあたらしいところ。
馬名プロファイラーでは7月30日に行われた メイクデビュー小倉(九州産馬限定)に出走した馬の馬名について触れられていました。
このレース 優勝したのは「テイエムハエンカゼ」
馬名の由来は「冠名+南風(九州の方言)」
「ハエンカゼ」は「南風の風」の訛りで南九州地方で主に聞かれる方言とのこと。
馬名の由来もいろいろあるもんですね。
優駿のバックナンバーを紹介しながら 日本の競馬を振り返る内容。
前編の9月号は1941年から1979年。
セントライトが三冠馬になったころからいわゆる「TTG」が盛り上がったころまでを紹介。

昔を振り返る記事の中で気になる記述が。
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1948年(昭和23年)に制定された新競馬法によって
日本の競馬は国営と地方の二本立てとなり、
日本競馬会の競馬は国営として行われることになる。
しかし当時の人気は地方競馬のほうが高かった。
競走馬も地方に流れ51年(昭和26年)の春には存続が危惧されるほど
国営競馬は低迷していた。
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地方競馬のほうが人気があった時代が少なからずあったのである。
いまと違いなかなか情報が流通しない時代。
そうなるとおらが村の身近な競馬に人気があったのも頷ける。
戦後まもなくのころには、全国のあちこちに競馬場があって
廃止や休止を繰り返しながら、現在に至っています。
DVDの特集はダンスパートナー。
この馬のデビュー戦は小倉競馬場。
ゲートが開くと同時に6馬身ほどの出遅れがあったものの
3コーナーから一気のまくりを決め、1番人気に応え新馬勝ち。
その後のオークスを勝ち、古馬になってからエリザベス女王杯を勝ったのは記憶にあたらしいところ。
馬名プロファイラーでは7月30日に行われた メイクデビュー小倉(九州産馬限定)に出走した馬の馬名について触れられていました。
このレース 優勝したのは「テイエムハエンカゼ」
馬名の由来は「冠名+南風(九州の方言)」
「ハエンカゼ」は「南風の風」の訛りで南九州地方で主に聞かれる方言とのこと。
馬名の由来もいろいろあるもんですね。