知的+ASDの息子と
定型発達の娘がいます。
2人とも成人しています。

お立ち寄りいただいて
ありがとうございます。

あくまでうちの場合と
状況の上での事ですので
参考程度にとどめていただけますよう
お願い申し上げます。


息子に療育を受けさせるようになってから
私は「厳しく」という言葉を
よく使ってきました。

小学校に入学してすぐ担任にも
習い事の体育教室でも
ママ友たちにも
家族にも。

息子には
「厳しくしてほしい」
「厳しくしたい」
「厳しくしている」

この「厳しい」という言葉が
語弊を生むのか、
大抵、息子に同情が集まります。

「そんなに厳しくしたら、
学校に来なくなってしまいます。」
「あんまり厳しくしても、嫌がるだけですよ。」
「えー、息子くん、かわいそう。」

などなど。

私の考える「厳しさ」と
世間が考える「厳しい」のニュアンスに
かなり温度差があるんだなと
思っていました。

多分、
ビシビシしつけるとか
泣いてもやらせるとか
嫌がってるのに容赦しないとか

そういう感覚になってしまうのかなぁ…

私が言ってる厳しくとは

・一貫性
・ブレない
・押し通す

息子に厳しくというよりは
大人が厳しくあれ
という意味でした。

大人が息子に向ける態度を厳しくしてほしい。

私が息子に対する態度を厳しくしている。

息子に折檻しろと言ってるわけでは
決してなかったのですが。
私の説明力不足で、なかなかわかって
もらえませんでした。

言ってみれば、
オリンピック選手になるために
厳しい食事制限をしているのを

「えー、好きなもの食べられなくてかわいそう」

とか

体力強化のための、ハードなトレーニング

「そんなにやったらつらくて嫌になるでしょう
やめたらー。」

と、言われているようなもの。

私は、息子の障害特性にとって
いちばん、やっかいであろう
社会性の秩序を教えるべく
オリンピック選手並みな気持ちで
(内容は雲泥の差ですがあせる)
息子に教え、精神も体力も
息子を鍛えなくてはならかったのです。

そのための厳しさに
統一性を持たせたかった。

全ては親なきあとに向けた「自立」のため。

ただ、
息子にとって必要なことをしたい
ってだけでした。

ムチを持って、怒りまくることは
厳しさではありませんし、
甘やかしたあげく、息子の困る行動に
切れて怒鳴ってたらそれこそヤバいです。

私の厳しさは
・一貫性を持って決めたことは守る
・一度こうと決めたことはくつがえさない
・息子の社会性に対して、筋を通す

だから。
先に息子と約束をしておくという
ルールはありますが。
※この場合の約束とは
大人主導での約束であり
息子の要求を聞く約束は皆無です。

「これから電車に乗って〇〇に行くけど、
途中で座れなくて泣いたりしたら
降りて帰ります。」という約束を予めして。
※この場合、息子が行きたい場所に限ります。

電車で泣き叫べば、直ちに降りて
どんなに泣こうが謝ろうが
すごく行きたかった場所でも
行かずに帰るとか

「家までは歩いて帰ります。
タクシーとか自転車は使いません。」
という約束を予めして。

「やだ!歩かない‼︎」
道路に寝そべっても
泣こうがわめこうが
何時間、経とうと歩き出すまで待つとか。

事が起きる前に必ず約束をしておき、
息子が反発したり癇癪を起こしたら
約束を遂行し、折れない厳しさです。

これらを息子に言い聞かせる時
私は大抵、笑顔です。
怒りませんし、怒鳴りません。

「あーあ、残念だったねー」とか
「今日はもう行けないけど仕方ないね」とか
「いいよー、ママは何時間でも待つよー」とか
「お腹すいたねー、帰ったらご飯食べれるねー」
とか

終始、ニコニコして、声のトーンも
下げず、高すぎず、普通に話します。

これ、息子に厳しいですかね?
厳しいのかなぁ。キョロキョロはてなマーク

そして。折れません!
息子の要求にはぜっっったいに応えません。
これに関しては厳しいです。 
まさしく鬼の厳しさです。
自分に対して。

マジで自分自身がキツイ。

だって要求聞いてあげる方が、
はるかに楽ですもの。
泣きやむだろうし、大人しくなるし。

だけど、それは、いっ時だけです。
次は、更に大変になる。

「ここで許したら一生モン」
そう自分に言い聞かせて、踏ん張りました。

そうして
一貫性を持って接してきた結果

昔の記事でも書きましたが
ブレない私の言葉に、
息子は安心するようになり
本当にどんどん手がかからないようになりました。

息子にとって辛いのは変化です。
毎回言うことが違う とか
昨日はこうだったのに今日はこう とか
前はダメって言ったのに、今日はいいとか。

こういう、大人の都合で翻弄されることこそが
息子にとって、一番辛く、不安要素になりました。

私がいつも、同じ対応をし、
同じ方針でいることに
息子は安心するようになり
それが、わかってからは
少しのイレギュラーも平気になり。

今では、180度違うことを、
私が言っても成人した息子は動じません。

「理不尽な…」と笑ってます。

「ほら、女は気まぐれだからねー」
なんて女心まで伝えて

息子は「はいはい、わかってるよー」
苦笑いして、「しょーがないなぁ」
私のわがままを聞いてくれます。

もちろん、わざとルール崩しをしています。
昔のまま、全てがルール依存となれば、
理不尽な要求や、状況の変化に対して
我を通すようになりますから
しっかりルールを守れるようになったら
ルール崩しをし、どんな状況でも
本人が動じないようにしてきました。
移行の時期は療育先での相談ですが、
大抵、子ども自身の変化がそのタイミングを
教えてくれます。

が、全て、療育のたまものです。
ありがたや…。

「厳しい」=「かわいそう」という図式。
スポーツ選手の
「厳しくトレーニングしてきました」
は賞賛されるのに
知的の息子に
「厳しく訓練しました」
はなぜ同情的に見られるのか
私はとても不思議なんですよね。

厳しくせず、言うこと聞いてあげて
なんでも許してあげた結果
成人してから
行き先がない方が、よほど大変だし
家族全員で困ると思います。

療育するなら、できるだけ小さいうちに、
とは思います。その時に
「かわいそう」はちょっと邪魔な感情だと
私は思ってます。

息子に対してのネガティブな言葉
「かわいそう」
「無理だよ」
「疲れちゃうよ」
などなど。
私はずっとそれらは無視してきました。

出来ることが増えるたびに
「ほら。かわいそうじゃないじゃん。」
「無理でもなかったじゃん」
と、誇らしく思えたし
特に身体的に問題がない子どもに
「疲れるもなにもないわ」
と、本気で思っていました。
何時間も続けて泣けるんだもの。
絶対、体力あるでしょ汗と。

厳しく鍛えられた息子。
私に 
こだわりも邪魔され
いろんな場所に行かされ
「ママは絶対」で育ちましたが
全然かわいそうだと思ってません。

だって、今の息子はかなり
自由に、幸せそうにしてますから。
もちろん、現在は
「ママは絶対」ではありません。
逆に私の方が、息子に
注意されたり、労われたり
息子の頼もしさと優しさに
元気をもらえていますビックリマーク

※定型発達児には、こんな育て方
 毒親危険度UPあせるいやMAXあせるあせる
 娘にはしてないです。
 息子の特性、性格、療育の指導のもとに
 やってきておりますので、あくまで
 個人的見解としてご理解いただけますよう
 お願い申し上げます。