無知であることを知る。


これは私の人生において「テーマ」であり

またこういった人間でありたいという願いである。


人間はどうしてもある程度まで知識が進むと

自信がついてしまい驕り高ぶったりしてしまうものだ。

それが良い「自信」ならいいけど

その自信は他人を攻撃することの方が多い。


「君の言っていることは間違っている!」

「あなたは何もわかっていない!」


こんなことを言われるとじゃああんたは何をわかってるのさとこうなるわけだ。

そしてこんなことを言う人間に限って「苦手ゾーン」の会話になるとダンマリ。

こんな風になってしまう事もあるけど

私はこんな風になったときの自分がものすごく嫌いだ。


小学生の時、友達の家に遊びにいくとその子のお母さんがカレーを出してくれた。

そこにはありえないものが混入されていたのである。


シイタケ


たまたまあまったから入れたのか、君の家ではスタメンなのかたずねると

スタメンどころかエースであることが判明。


「おかしいよ!!」

「フツー入れないっしょ!!」


とヤツに散々難癖をつけた上に学校で言いふらすなど、なかなか非道な事をした。

ところが先日、比較的おしゃれなカフェでランチをした際

秋のカレーをオーダーし、完食した私はこれを思い出して絶句。

きのこカレーにはシイタケがしっかりとスタメン入りを果たしていた。

あんなにヤツを非難した割に、比較的おしゃれなカフェだと文句も言わず完食した自分が許せなかった。


ヤツん家のカレーは比較的おしゃれだったのだ。


この世に生まれて29年。

知ってることも増えてきたけど、知らないことの方がやっぱり多い。

こんなに情報が飛び交ってるのに、吸収力が欠けている。

まだまだたくさんのことを知りたい。


あともうひとつ。


中学生の時に、友達の家に行ったらその子のお母さんがカレーを出してくれた。

なんだか色がちょっと濃い感じで、じゃがいももニンジンも入っていないし

何より全然辛くない。けどなんかすごいウマイ。


「このカレー変わってるけどすごいおいしいですね」


と本日のシェフであるお母さんをグルメな感じで絶賛したところ


「やーね、これハヤシライスでしょ」


と言われた。

「コレなんですか?」とは聞けなかったものの

1993年 初めてハヤシライスの存在を知る。


無知であることを知ってさえいれば、何だって吸収できる。

無知な事は恥ではない。


それは可能性に満ちた始まりである。