金曜日はカレーの日、金曜日は息抜きの日!
どんなおかずよりカレーが好きな夫・たこたろさん、チョロい男だ(笑)
『櫂/宮尾登美子』
著者の母をモデルにした長編です。
宮尾登美子さんは、この他にも自分の育ちを振り返るような作品をいくつか書いておられます。
ここまで自分や家族について、客観的かつ掘り下げて考えるというのは、一体どういう心の境地なのか…。
主人公の喜和は15歳で嫁ぎます。
嫁いだ相手は渡世人(チンピラ)の岩伍、後には紹介業といえば聞こえはいいものの、女衒(ぜげん、女の子と水商売の仲介)として暮らしを立てていきます。
喜和は、大正昭和と変化していく時代の中で、様々な事情を抱える人の寄り集まる大所帯を切り盛りしながら、実の子供、捨て子、継子と育てていきました。
献身的に夫に尽くした喜和ですが、根本的な価値観の違いは相容れず、離縁されたところで物語は終わります。
印象的なのは、捨て子・菊のエピソードです。
菊は、岩伍が拾ってきた、本名も歳も親も知らない子供でした。
草履の履き方すら知らない野生児を育てるのに、喜和は心身打ち込みました。
菊と実の親子になることを目指していた喜和ですが、些細な出来事をきっかけに、キッパリ諦めることになります。
諦めたことで、喜和と菊とはより良い関係になります。
親子と他人の中間と言うしかない関係です。
喜和が大病をして入院した時、他人には頼みにくい下着の洗濯などを担ったのは嫁に行った菊だった、という後日談でもよくわかります。
実の子供は、結核で死んだ長男と、出来は良かったのに身を持ち崩して母親を省みない次男とで、他人よりも遠い人になります。
継子は、実の子供よりよっぽど気持ちが通じ合うけれど、離縁と時代背景もあり、最終的には親子にはなれませんでした。
親子は、子育ては、難しい…。
この記事を書くために改めて読み返して、つくづく凄い作品だな、と思いました。
当時の風景や喜和の心情が細やかに巧みに描き出されています。
巧いんですよ。巧いんですが、まあ、その分長いです!
あと、岩伍のやりようは、現代なら終わってるなー、と。
著者・宮尾さんは、自伝作品の後の方で、父の岩伍をテーマとする作品も書いています。
複雑な気持ちが伺われます。
ゼロよりマシな、明日を目指して