ずっと気になっていたドラマ「カルテット」を、今頃ですがアマプラで一気に観ました。
「最高の離婚」が好きだったのに、見逃してました。
脚本家がどちらも坂元裕二ということで、台詞回しの面白さですぐに引き込まれました。
サスペンス調だけど、「最高の離婚」と同じように、一癖ある人達のヒューマンドラマかなって。
でも、真紀の過去が明らかになったあたりから、胸が苦しくて切なくて、今までの真紀の言葉の奥の想いが急に心に突き刺さってきて、一人になると泣けて仕方ありませんでした。
「まさか殺人はしてないでしょ」と言いつつ、
義父と娘……性的な暴力も……? と
考えないようにしても、頭の隅に濃いグレーの靄がかかりました。
最終回の真紀の
「こぼれちゃったのかな?」
「内緒ね」
は、そういう意味にとりました。
「殺していいよ、そんな奴…!」
と、私も言葉がこぼれました。
ふつうの人になりたかった。
ふつうの家族が欲しかった。
真紀の願いがあまりにも切実で、なのに旦那の失踪で全てが壊れて…。
だけど、ラストは優しく暖かいグレー色のハッピーエンドで、心の底からホッとしました。
ドーナツのように穴が空いた人間たちの、全員片想いという絶妙なバランスの、大人4人の家族以上に家族のような関係。
あと、表現をする人間には突き刺さる言葉が多いドラマでした。
「注文に応えるのは一流の仕事。ベストを尽くすのは二流の仕事。三流は明るく楽しくお仕事をすればいい」
までは、ともかく
「志のある三流は四流だから」
には、「キッツ…!」と声が出てしまいました。
そして、最終回の手紙。
「みなさんの音楽は、煙突から出た煙のようなもの……
価値もない、意味もない、必要ない、記憶にも残らない……早く辞めてしまえばいいのに……
煙の分際で続けることに一体何の意味があるんだ」
「自分には才能がないと見切りをつけて、音楽を辞めた」という手紙の送り主は、八つ当たりせずにはいられないほど4人が羨ましかったのでしょう。
そういう八つ当たりは、私も散々されてきました。
でもさ、本当にわからないんだけど、いやあんまわかりたくないだけなんだけど、
承認欲求のためだけに何かを表現するの?
人に認められたらそりゃうれしいけど、でも最初は、ただただ溢れ出てくるものを人に伝わる形で表現したいって気持ちで始めるんじゃないのかなぁ?
一人でも誰かに伝わればいい。
ほんの少しでも誰かの心を揺らせたらそれでいい。
それは、人の一生も同じ。
ほとんどの人の一生は、
「価値もない、意味もない、必要ない、記憶にも残らない」
…とも言える。
それでもみんな生きていく。
真紀の
「泣きながらご飯を食べたことのある人は、生きていけます」
のセリフが深くて強くて、地獄を生き抜いてきた人の言葉だと思うと泣けてきます。
「音楽っていうのはドーナツの穴のようなものだ。何かが欠けているやつが奏でるから音楽になるんだよね」
そして、人は生きているだけでみな奏者であり、人生を奏でているのだと思います。