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☆妻の子宮体がん日記+その後のこと☆

子宮体癌(低分化類内膜腺癌 G3)ステージ4b、遠隔転移あり。
3年間の闘病の末、2016年7月、妻は永眠しました。
闘病と治療の経過、死別と立ち直りについて綴って行きます。

妻との死別からだいぶ時が経ち、いろんなことに巻き込まれながら人生と向き合う日々が続いています。そうして、最近はアメブロにログインすることもなく。

 

で、久しぶりにログインしてみると、、

、、なんとブロ友さんが大変厳しい状況に陥っていた。

 

自身もがん患者であるその方は、闘病中の妻や死別後の僕を、親身になって励ましてくれたり、優しい言葉を掛けてくれたり、はたまたギャグを飛ばしたりと、なにかと僕を元気づけてくれました。

 

そして、一時帰国した際にお会いした唯一のブロ友さんでもあります。あの優しい笑顔を今でもよく覚えています。

 

彼女はステージ4の大変な闘病を乗り越えたサバイバーで、誰よりも癌や治療の辛さについて知っています。自身が辛いときでも他のがん患者の苦しみに寄り添い、時にはアドバイスを送り、そして同時になんだか明るく前向きな気持にさせてくれる、そんな観音様というかマザーテレサのような方なんです。

 

闘病中・死別後の暗闇の中に一筋の光を見たようにも感じて、それが僕には「救い」にもなりました。本当に感謝しています。

 

そのようにして救われたのは、きっと僕だけではないはず。

 

その「救い」とはどういうものなのか、残念ながら僕の貧相な筆力では上手く表現できないので、僕と同じように死別を経験されたHASANAさんという方の素晴らしいブログ記事へのリンクを貼っておきます。

 

 

 

表現を借りると、きっと彼女は遺伝子レベルで「優しさ」を備えている(稀有な)ひとなのでしょう。

 

 

癌治療後の身体は元には戻りません。常に何らかの後遺症と折り合いをつけながら生きていかなくてはなりません。それに再発のリスクにも怯えなければなりません。それは知っています。

 

・・・でも、なんで彼女なんだよ。神様の馬鹿野郎!

 

 

とにかく、治療が奏功し、一日も早く回復されることを、遠く地球の反対側から切に祈っています。

今日であの日から6年が経ちました。

 

世の中はコロナ禍とウクライナ戦争で一変し、

先の読めない不安定な時代に突入したなと強く感じます。

 

個人的にも、この一年ほどは本当に大変で、

予測のできなかった出来事にすごく苦しめられました。

 

 

昨年、義父が肺炎で亡くなり、そこから状況が一変しました。

詳しくは書きませんが、ざっと以下のようなこと。

 

(義父の財産を相続した)義母の財産目当てに親族の夫婦(片方は弁護士)が

義母に取り入り、遺言書を作らせたのです。

ちなみに義母は大分ボケており、その意味がよくわかっていません。

 

きっと僕が邪魔だったのでしょう。

その過程で、法律のギリギリを狙ってありとあらゆる嫌がらせをされました。

もちろん僕も、弁護士を雇って度を超える部分には法的な対応を取りました。

 

しかし、それで防げる部分は半分程度で、あとはどうにもなりません。

つまり、悪意をもって狙ってくる相手に対しては、かなりやられ損な訳です。

 

身の危険すら感じたため、義母の世話も諦め、

住んでいた家も出て新しい場所へ引っ越しました。

(大げさだと思うかもしれませんが、B国ではわりとリアルなんですよ ^^;)

心身ともに疲れ果てました。

 

まさかこんなタイミングでこんなことになるなんて。。。

 

 

それまで善人だと思って信頼していた人たちでしたが、

「お金は簡単に人格を変えてしまう」ということを学びました。

「お金はその人の(隠れていた)本当の人格を表出させる」とも言えるかもしれません。

一時は人間不信になりましたよ、ほんと。

 

 

もちろん、妻との「死別」と比べればなんてことはない。

幸いにも数人の友人が親身になり力を貸してくれて、

なんとか乗り越えることができました。

 

まだ終わったわけではありませんが、現在は比較的落ち着き、

物事を前向きに考えられるようにもなりました。

 

 

降って湧いたような災難に翻弄された一年でした。

これが「生きる」ってことなんでしょうかね。

 

でも、もう過ぎたことは忘れます。

嫌なことをウジウジ考えている暇なんかありません。

 

人生なんて、あっという間だから。(^_-)-☆

 

青空と公園

10年ひと昔ともいいますから5年といえばその半分、

それなりの年月です。

 

死別直後は永遠にも感じられた時間の流れも、

時とともに段々と早くなり

気がついたらアッという間に5年経っていた、

というのが実感です。

 

もちろん妻とのことは忘れません。

人生における最高の思い出として

肯定的に捉えられるようになったと思います。

人生を俯瞰的な視点から見られるようになったとも。

 

「死別」によって僕の人生や価値観は

文字どおり大きく変化しました。

というか、変わらざるを得なかった。

 

死別後の空虚と哀しみは僕を徹底的に破壊した。

世間を恨み、後悔ばかり、

ひとりで生きることが辛かった。

 

ある日、妻の「死」に意味はあったのかと考えた。

何も思いつかなかった。

そうなんだ、死に意味なんてなかったんだ。

そう悟った時、猛烈に怒りが込み上げた。

それだけは絶対に許せなかった。

 

そこから何かが変わり始めた。

 

彼女の死から何かを学びとり、

それを自分の人生に活かしていくこと。

そうやって僕が変わることによってのみ、

妻の死は小さいけれど意味を持つんだ。

 

実は、こういった考えは

少し前から僕の中にはありました。

それが「死別」の衝撃によって

見えなくなっていただけなんです。

 

妻が身を以て教えてくれたこと。

命にも幸せにも限りがある。

それは案外早いかもしれない。

ならば、それまでは思いっきり生きてやろう。

 

そしていつか、

天国の妻と再会した時にはこう言うんだ。

「キミのお陰でいい人生だったよ」と。

たぶん、一発ぶん殴られてw、

その後はきっと抱きしめてくれる。

 

変化は想像以上に大きかった。

 

怖いものがなくなった。
お金に執着しなくなった。
小さいことに悩まなくなった。
やるべきことを後回しにしなくなった。
人生は素晴らしいと思えるようになった。

 

ポジティブ過ぎると思う人もいるだろう。

故人に対する敬意がないと腐す人もいるだろう。

でもそんなものはどうでもいい。

 

僕は妻の人生を生きることはできないし、

今できるのは、自分を全力で幸せにすること。

そして、あわよくば他の誰かを幸せにすること。

 

生と死は表裏一体。絶望は希望であり、

何かの終わりは何かの始まりなんだ。