17年目のあの場所へ | ☆妻の子宮体がん日記+その後のこと☆

☆妻の子宮体がん日記+その後のこと☆

子宮体癌(低分化類内膜腺癌 G3)ステージ4b、遠隔転移あり。
3年間の闘病の末、2016年7月、妻は永眠しました。
闘病と治療の経過、死別と立ち直りについて綴って行きます。

「17」という数字に特別な想いがある。

 

 

それは多分、セカチューの影響なのかもしれない。

サクは、17歳の時にアキと出会い、そして失った。

それから17年後に、その場所に帰ってきた。

 

たったこれだけのことなのに、なぜだか、

僕は「17」という数字に縛られている。

なんとも滑稽なことだ。

 

 

 

先日、ふと、あることに気づいた。

 

 

「あっ、17年!」

 

 

以前、亡き妻と出会った日のことを

君と出会った奇跡 という記事にしたことがある。

 

そう、あれは2001年の4月だったんだ。

 

 

17年が経ち。

 

その間に、僕らは結婚し、一緒に笑い、一緒に泣き、

そして僕は妻を永遠に失った。

 

 

 

 

「あの場所に帰りたい。。。」

 

なんだか、それが義務のようにも感じられて、

衝動的にあの街へ行く航空券を買ってしまった。

 

 

 

 

 

妻と出会ったあの街。

 

 

17年ぶりのあの街は、

あまり時の流れを感じさせなかった。

 

ただ気の所為か、以前より

少し活気がなくなった印象だった。

 

 

 

17年前のあの日、僕と妻が出会った場所。

 

あの場所は昔のままの佇まいだった。

 

夜になると、この三叉路一帯には

テーブルや椅子が並び、沢山の人でごった返す。

街には音楽が溢れ、キラキラと輝くのだ。

 

 

 

 

 

一旦、ホテルに戻って、日が暮れるのを待った。

 

そして、満を持して、足早にあの場所へと向かった。

 

もしかしたら、妻に逢えるかもしれないという、

ありえない期待を胸に・・・

 

 

 

・・・そして、愕然となった。

 

そこには、昼間と同じく、人っ子一人歩いてはいなかった。
よく見ると、あのライブバーに看板はなく、どうやら廃業したようだ。

 

 

 

 

あの音楽に溢れ、キラキラしていた街、

B国っぽさを体現したような街は、

もう影も形もなく寂れ果てていた。

 

あの尖っていてカッコよかったミュージシャンたちは

いったい何処に消えてしまったのか?


なんとも言えない、寂しさが込み上げた。

 

 

時が経つとは、こういうことなんだ、

と自分に言い聞かせた。

 

 

 

 

インターネットの発達によって、

世界は急速に均質化していっているのを感じる。

尖っていた文化の角が取れたりとかも。

 

それが良いのか悪いのかわからない。

おそらくは、不可逆的な流れで、止めようもないことだ。

 

普段は、それを肯定的に見ている僕も、

今回ばかりは、文化の喪失を寂しく感じてしまった。

 

 

 

 


ひとつだけ確かなこと。

あの時、あの場所、あの雰囲気の中にいて、
妻と出会ったのは、とても幸せなことだった。

 

 

 

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