クマゼミが一気に鳴きだした。
今年も暑い夏が始まる。
遠い昔の夏休み、私の日課はニワトリの餌やりから始まる。時には、用水路でヒルに血を吸われながら、ザルで掬って来たドジョウなども食べさせた。生きたままのドジョウを喜んで食べていた。みんなに餌が行き渡ったのを確認し、ラジオ体操に行った。ラジオ体操から帰って来たら、ニワトリ小屋から産みたての卵を一個取って来て、母親に目玉焼きか玉子焼きにしてもらって、朝ごはんを食べた。
食べ終わると直ぐに、箱メガネと、カジカ獲りの網と、腹が減った時の為の蒸したてのジャガイモと水筒を持って川へ行った。
昭和40年代前半、デカいアユカケがいっぱいいた。必死で獲った。時間なんて忘れる程、
帰り道、蒸してもらったジャガイモを頬張りながら歩いた。獲ったカジカを爺様に渡すと、100円札一枚貰えた。昼飯を食べて昼寝をした。
昼寝から起きると、爺様から貰った100円札を半ズボンのポケットに入れ、アイスキャンディー売りの自転車が来るのを待った。
一本買ってまた川へ行く。
当時、三面川での鮎釣りと言えば、ゴロカケ(コロガシ)が一般的だった。うちの爺様も川舟を流れに固定し、ゴロカケで鮎を獲っていた。たまに俺も舟に乗せてもらって、掛かった鮎をビクに入れた。
その鮎を売りに行く事は知らなかった。
そんな時代に、一人だけ変わった鮎釣りをする人がいた。三面川の鮎釣りの生き字引、故 高橋 与吉だった。それが友釣りだった。
大人になったらやってみようと思っていた。
その、高橋 与吉は川で死んだ。
夏の終わりも近い頃、毎日俺が餌やりしたニワトリを一羽、爺様がニワトリ小屋から引きずり出す。年老いたニワトリだったと思う。
そのニワトリを俺が押さえる。ニワトリが暴れるが、爺様に絶対離すなと言われた。
俺は必死でニワトリを押さえた。
爺様がナタの様なもので、なんまいだ!成仏してくれよ、と言いながらニワトリの首を切った。血が飛び散った。ニワトリはまだ生きていた。そして羽をむしり取るのは俺の役目だった。
そして喰った。硬い身だった。残さず喰った。
そんな時代だった。誰も、宿題しろとか、勉強しろとか言わなかった。
おかげさまで、大学は入ったが、直ぐ裏門から逃げ出した。
数年前の夏の終わり、病室の外で、一匹のツクツクボウシが鳴いていた。その鳴き声に力強さは感じられなかった。妻は静かに息を引き取った。癌だった。俺を残し、先に旅たった。
そんな俺も、後一年半で定年退職を迎える。


