あの津波や火災の映像を観て
映画のようだとかバーチャルみたいだとは思わなかった。
瞬時に現実感を持って心の中に入ってきて
冷静さを失った。


何かしてあげたい、助けたい、知り合いの安否が知りたい
たい、たい、たい・・・・
という「己の願望」で迷惑をかけた人がいるかもしれない。


落ち着いて、西日本に住む自分が「求められていること」を整理すると
現時点では義援金しかない。
それしかできないと自責する必要はなくて
それが求められていることなのだから自信を持っていい。

阪神大震災の体験談がいろんなところで語られていて
気付かされることも多い。

被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ~僕の浅はかな経験談~

神戸での役に立てなかったボランティア経験が語られている。
「役に立つ」ということについて深く考えさせられる。


もうひとつ

あの恐怖と屈辱は、記憶よりさらに奥に刻みつけられてしまっている。

阪神大震災の被災者である西宮市議会議員のブログ


以下引用
悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。

ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。

彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。
引用終わり

普段、善意の押し売りが迷惑だということは解っていても
正義感に駆り立てられ、熱くなった状態で
自分のやっていることが押し売りかどうかは
もはや判断できないかもしれない。


今はただここから祈り、義援金を送り
次に「求められていること」を待ちたい。
平常心。平常心。