今ではどこの家にも行き渡っている電気ガス水道

私の子供の時はまだありませんでした

 

水は近くの協同井戸から汲みあげて台所のおおがめに貯めて使っていました

 

瓦斯は一部の金持ち階級のみの物で我が家にはまだありませんでした

お嫁に行った姉の家にはあり コイン式でした  

 ガスコインを買って置き ガスが消えそうになると急いでコインを差し込んでつかつていました

 

電気は漸く各家に行き渡りました

2歳年上の姉は学校へ行く前に 前夜使ったガスランプ掃除をするのが日課でしたが 私はしないで済みました

 

電球を差し込むソケット (二股ソケット)を発明した松下幸之助さん ナショナル電気の産みの親として有名です

子供の頃 時々カルメラ焼きを作りました

 

冬 家族全員集まつて大きな火鉢に手をかざし温まりました 

今のような暖房器具はなかつた時代です 

 

その時 みんなで一緒にカルメラ焼きを作りました

 

おたまにザラメと水を入れて 火にかけます はじめは大粒の泡がだんだん小粒になつてきます そこへ箸のさきにつけた重曹を入れサッとかき混ぜると プッ!と膨らんできます 火からおろし お玉から外して出来上がり

 

甘いお菓子を買えなかった時代でした 昔懐かしいお菓子です

何でも姉のお古をあてがわれて新しい物を買ってもらったことがなかった私

 

ある朝 目を覚ますと新品のランドセルが枕元に置いてありました

 

粗末なランドセルではあったが 軽くて私には丁度よかつた 

嬉しくて嬉しくて今でもハッキリ覚えています

この年 教科書の改訂が重なり 中も外も新品

ピカピカの一年生が生まれました

 

眼下に小学校が見える 静かだ

以前はワーワー歓声が聞こえてきたがマスクのせいで静かだ

 

運藤会 なかった もよう

遠足 なかつた もよう

 

学校の楽しい行事が行われていない

私の子供の時のように ごちゃ混ぜになつてあそばない 可哀想

花が好き 

マーケットへ行くと必ずお花屋さんを訪れます

 

好きなお花を買ってきて花瓶に生け楽しんでいます

 

時にはガーベラ ひまわり 水仙・・・等いろいろ

 

今は小菊が花瓶に生けてあります 白と濃い紫の2種

 

お花のない生活など考えられません

 

お花は幸せを もたらせてくれます

最近蒼い空が見られるようになつた 

中国からの黄砂の飛来が少なくなってきた来たからと思う

 

かつて高村光太郎の妻千恵子が言った

東京には空がない…と 

 

以前 中国を旅行したことがある

広大なタクマラカン砂漠をジープに乗ってつつぱしつた

 

マスクをしてほうかぶり 誰が誰やら わからない姿であったと思う

今 中国は裕福な超大国になつた

 

砂漠も改良されたのか黄沙の飛来は少なくなってきた来た

蒼い空が見られるようになった

今では普通に使っているガス電気水道 各家庭に行き渡ってまだ100年は経っていないのです

 

私の子供の頃 水は近くの協同井戸からくみ上げ 台所のおおがめに貯めて使っていました 水汲み これは子供の朝の仕事でした 

 

電気が漸く各家庭に行き渡りました 

 

姉は毎朝 前日使ったランプ掃除をしてから学校へ通っていましたが 電気が通じたおかげで私はランプ掃除をしないで済みました

 

瓦斯コンロはまだ一般家庭には行き渡っていず裕福な家の物でありましたので 

我が家にはまだありませんませんでした

 

嫁に行った姉の家にガスコンロがありました 便利で羨ましかったことが思いだされます

当時はガスコインを購入しておき ガスが消えそうになるとコインを差し込む方式でした  

 

私は96歳になる ここまで元気に過ごせたのは文明開化のおかげです

小学校に入学する前のこと

何でも姉のお古をあてがわれ 新品の物を買ってもらったことのない私

朝起きてみると枕元に新しいランドセルが置いてあった

 

驚き喜び‼

 

安価なもので 軽く 私にピッタリの品であった 

忘れられない親心

ピカピカの一年生が生まれた

 

96歳になる今でも忘れることはない

我が家でもお雛様を飾つてお祝いをしました

父が京都まで出かけて買い求めた上品なお雛様でした

 

芦屋のお金持ちの友達の家に招かれた時見た雛人形には驚きました

4畳半の部屋に満ちていました 豪華賢覧とでも言うのでしょうか

 

飾りは楽しいものですが 後かたずけは大変です

 

そこで いつまでも飾つておくとお嫁に行き遅れると言い伝えられ 早くかたずけるよう促がされたものです

 

 

 

 

昭和元年生まれの人は少ない 大正天皇が12月25日におなくなりになり年号が昭和になりましたので僅か1週間だけが昭和元年です

 

私は昭和2年生まれ 全昭和を生きてきました

 

今ではどこの家庭にも備わっている電気ガス水道はまだありませんでした

明かりはランプ 2歳上の姉は毎日ランプ掃除をしてから学校に行きました

 

私はその仕事をしないで済みました 電気が漸く行き渡ったかです

 

水は近くの協同井戸からくみ出して台所のおおがめに貯めて使付ていました

水を運んでくるのは子供の仕事で私は学校へ行く前に水汲みを必ずしていました 

 

瓦斯はまだ一部の富豪階級のみの物でした ガスコインを購入して置き ガスが消えそうになると急いでコインを入れました 嫁いだ姉の家にガスコンロがありましたが我が家にはまだありませんでした 羨ましかつた事を憶えています

 

新しいもの好きな父は ラジオを手に入れました

 

漸く ラジオ放送が始まったのです

定時放送でした

 

放送が始まると近所の人が我が家へ集まってきました

 

小さな箱から音が出るのを不思議に思い 父がいないとき裏板を外して中を見てみました 中には真空管が2個入つていてチカチカ光っていました いまだに何故音が出るのか分かりません