孫がやってきた 孫といっても2人の子持ちの中年の夫婦
丁度その時食器棚の整理をしている最中だった
欲しいものがあったら 持ち帰っていいよ といつたら喜んで数点選んだ
その時 気ずいた 若い人は見た目より実用的な物を選ぶ と
孫がやってきた 孫といっても2人の子持ちの中年の夫婦
丁度その時食器棚の整理をしている最中だった
欲しいものがあったら 持ち帰っていいよ といつたら喜んで数点選んだ
その時 気ずいた 若い人は見た目より実用的な物を選ぶ と
初夏丁度今頃がそら豆の収穫の季節です
そら豆は実を上に向かってつけるので空豆という名 がついたようです
そら豆の皮は大きくて実は小さいので 食べるところが少なくて 損だなあと思っていましたが
なんと皮の内側についている綿状のものが美味しいことを知りました
食べ方は
皮の付いたままのそら豆を直火で焼きます
皮を開いてほくほくの実を食べ 次に皮の裏側についている綿状のものを食べます
ほんのり甘さを感じます 初夏のお味ですネ
産地は関西地方 尼崎 一寸豆と呼ばれる大型のそら豆が実ります
90年も前の昔話
兄が死んだ 破傷風菌に全身を侵され 死んだ
小学生の運動会 徒競走中転んで足に怪我をしたのが原因で病院に入院していた
今なら良い薬があり死ぬことなどありえないが 90 年も前のこと
葬儀に大勢の級友や先生が参加してくれました
何故かその時の事 一つだけ覚えていることがあります
参列してくれた級友にお礼として餡パンを配った事
当時はまだ餡パンは喜ばれていましたネ
近頃は葬儀は見たことがありません 人が集まることを避けているのでしょう
手アイロン もうすたれた言葉かもしれません
ひと昔前 アイロンがけは主婦にとって辛い仕事でしたが 今はアイロン不要の衣服が出回りとても良いと思います
それでも時には皺が気になることもないわけではありません
そんな時 手アイロン
衣服に霧を拭いて少し湿らせ手でなでると驚くほど皺が取れます これが手アイロン
試して ガッテン‼
女学校卒業後 或る専門学校へ進みました中高一貫校でした
その学校の中高卒業生の英語の実力は一般校から入学した生徒とは雲泥の差がありました
英語の授業を始める前に簡単なテストがあり五組に分けられました 私は一組 一番できの悪い生徒のクラスです
何しろ英語は初めてなのですから当然です
授業が始まりました 教科書が渡されましたが読めません
先生は呆れてしまい 授業打ち切り
救ってはくれませんでした その時救いの手を差し伸べてほしかった
世間では今年も梅干し作りが始まった
我が家には古い梅干しが有ります
嫁入りの時 母から贈られた梅干しは祖母が作った物でした
もう年月が経つので酢っぱさより 独特のうまさがプラスされています
ひ孫の歯固めの儀式のとき 伝来の梅干しの出番がありました
健康で長生きするようにとのおまじないとして 一役かいました
梅酒もこの時期作られます アルコール類はダメな私でも梅酒は別 少し口にします
此の時いつも思います アルコールに強い人はいいなあ と
アルコールに弱いのは人生半分損したように思います
人それぞれ運命がある
戦争末期 軍需工場工場に駆り出された時の話である
友達に金持ちの子がいた 金物問屋の子であった 金回りよく先生に貢いでいたのだろう
工員でなく事務の仕事を与えられて いて 羨ましかった
事務員は一般工員より少し早く出勤しなければならなかった
運命の日 彼女が出勤した直後にB29の爆撃に会い死んでしまった 体はバラバラに散ってしまった
人の運命はお金では買えない
彼女とは一緒に数学の先生の家に授業を受けにに通っていた
私は付き添いということで授業料なし もしかしたら彼女の父親が出していたのかもしれない
戦争末期の私の女学生時代は厳しい状況でした4・5年生の時は学校ではなく毎日軍需工場へ通いました
ですから授業は3年までしか受けていません 授業料は工場が学校に納めてくれていましたので無料でした
卒業後も同じ工場に勤めるよう決まっていましたので これはかなわんと 逃げる手段を考えました
答時 男性は兵役に取られて少なくなり女性教員を増やすため 臨時教員養成所が設けられました
競争率ものすごく高く 私の学校から50人ほど受験し受かったのは私一人だけでした
理由は私は数学が好きで抜群の成績を得た事だと思います 数学はゲームのように遊んで学んでいましたから
養成所を終えて小学校の教師となり半年 職員室で敗戦の放送を聞きました
此のころ一度敵機グラマンが学校の上空を旋回するのを見ました
敗戦後遅れた学問を取り戻す為学業に戻りましたが 学ぶべき時期に敵国語として学べなかつた英語
後から努力はしましたが なかなか大変でした
年金暮らしです
夫が現役の時 給料袋の中から各種の名目で半分くらい差し引かれていて面白くない気分を味わいました
ところがそのお金が今 年金となって私共の生活を支えてくれている 有難い制度でした 無知識でしたネ