私の小学生時代 つずり方教室という授業がありました 

 

いきなり美文は書けません 素直に思った事を書けばよいのです・・・・と

 

私はそれに従って書くのが苦痛でなくなりました  

 

良い授業だったと思います

 

作文を先生に褒められ自信もつきました

 

私も短期間でしたが教師時代がありました

教師の役割は生徒の長所をみつけて 応援してあげることだと思います

私の小学生時代 つずり方教室という授業がありました 

 

いきなり美文は書けません 素直に思った事を書けばよいのです・・・・と

 

私はそれに従って書くのが苦痛でなくなりました  

 

良い授業だったと思います

 

作文を先生に褒められ自信もつきました

 

私も短期間でしたが教師時代がありました

教師の役割は生徒の長所をみつけて 応援してあげることだと思います

98歳になった 

どこも痛いところも悪いところはなく健康に過ごしている 

目が覚めたとき 第一にすることは 生きていることを感謝して よろずの神様に感謝して手を合わせる事 

 

こうしてブログを書くことを教わつた事から数十年私は今でも文章を書くことに困らない

   

振り返ってみると 幼い時 つずり方教室というラジオ番組があつた

 

思ったことをそのまま文章にすればよい ・・・・・と教えられた  

 

実行して数十年 まだ文章を書ける喜び !

 

 

以前のラジオ放送は娯楽番組のほかに 教養番組が多かつた気がする

98歳になりました 私の役目ははたしたと思っています 

 

それは 先祖から受け継いだもので 子供2人と孫の数人 いずれも立派に育つたので    世間の発展にささやかながら貢献できたと誇らしく思えるようになりました

 

私の青春時代には大東和戦争があり そして敗戦 苦しい時代がありました

8月15日 敗戦記念日です 今年も間もなく迎えます 

 

今まで負けたことはありません  

神風が勝利に導くと思われてきましたが 今回は神風は吹きませんでした

 

敗戦により苦しい時がありましたが 皆忘れました

都合の悪いことは忘れる良い性格で 98歳まで生きてこられたのだとおもいます

午前中 福祉センターへいつて来ました 今は のんびりと休んでいる

急に暑くなつてきて 皆の服装が夏服になつた 

 

昔は衣替えの季節は防虫剤のにおいが漂ったが今はそんなことはない

衣料につく虫が根絶したのかと思う

 

ヒメマルカツオブシムシが活躍していた時 衣替えの季節は防虫剤のにおいが漂っていたが 今はそんなことはない 害虫はいなくなったからでしょう

蚊取り線香も蚊帳も 必要がなくなつた  

でもその代償は大きい 

秋に鳴く虫の声が無くなったのはとても寂しいと思う

蛍の姿 見なくなつた

 

 

 

暖かくなつてきました よい季節の到来 衣替えの季節です 

以前は衣料にいろいろな虫がつくのを防ぐための防虫剤の香りをプンプンさせている人を電車内に見かけましたが今は見かけません 虫がいなくなったようです

 

朝 ラジオ体操に出かけると待ち構えていたように蚊にさされ かゆいかゆいと困りました 特にやぶ蚊には悩まされました 防虫剤が撒かれ 蚊はいなくなりましたがよいことばかりではありません 

秋にすだく虫の声がなくなりました 鈴虫 コウロギの声など久しく聞いていません 

寂しい事です

 

以前この季節は雨の日が多かった  

子供2人を育てていると オムツを乾かすのが大変だった  

 

部屋干すると満艦飾のあり様

 

扇風機を買って回していた 今でもその時の扇風機がある

 

今はジメジメしていない 空梅雨か? それとも梅雨がなくなったのか?

今年98歳になつたが小学生時代のことはよく覚えている 

男女同クラスで級長は男子 副級長は女子だつた  

級長は号令をかけたりかっこよかつたが副級長は世話係

私は副級長 世話係だつた

 

ある時 てんかんの子がクラスに入ってきた 私の隣の席になった  

てんかんの子は授業中突然立ち上がり大声で喚いて それからおしっこをして収まる  

 

私はおしっこを モツプで拭き下着を変えてあげる役目だった

いやではなく 皆の役に立つことが当然と考えていた

 

当時私の通っていた学校は生徒数 2000人 マンモス校であった 

 

 

誕生日に娘から贈られた芍薬の花が今満開 紫色の花が華やかです 

 

立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿はユリの花 

 

美人を表す言葉ですが 本当に美しく 華やかな花です 

 

一輪で部屋が明るくなっています 素敵な贈り物 ありがとう  

今年97歳になります 

 

健康に暮らしてきました 有り難い事と神仏に感謝 

 

 

昭和2年生まれの私 誕生日を迎える 78歳 

全昭和を生きてきました

 

昭和元年生まれの人は少ない 大正天皇がお亡くなりになったのが12月末 僅か1週間が昭和元年だったのです

 

子供時代のことは不思議と まだよく覚えています

 

今のように 電気ガス水道は各家に届いてはいなかった

 

水は近くの協同井戸から汲み上げて台所のおおがめに貯めて使っていた

これは子供のしごとで学校へ行く前に必ず行っていた

 

電気が通じたのは嬉しかった 3歳上の姉は 前日に使用したランプ掃除をしてから学校へ通っていましたが私はしなくてもよかった  

 

瓦斯はまだ富裕階級の物で我が家にはまだありませんでした

当時のガス器具は ガスコインを買っておいてガスが消えそうになると急いでコインを差し込んでいました

 

昭和・・・・  文明開化の波が押し寄せてきました 私はそれに乗っての人生を送ってきました