こんばんは!

ちびママです。


毎週のようにあった打ち合わせがなくなると土日が暇ですね…凝視

最近はおチビと色んな公園に行くようにしていますびっくりマーク



スタースタースター



3月11日。
東日本大震災から丸13年ですね。
今日は実家のお話をしたいと思います。

私の実家は私が生まれてから2回建て直しています。

1回目:貝塚(10歳)
2回目:津波(20歳) 歳がバレてしまう…!笑


ダイヤグリーン貝塚


家の近くで何か発見されたらしく、周辺の家は転居を余儀なくされました。
元々ながーーーい石階段の上にあった実家。
車は石階段の下にしか停められず、降りてから長い階段を登らなければならない場所にあるのがとても不便でしたネガティブ
なので、貝塚で低い土地に引越しできたのが私はとても嬉しかったですキラキラ
だって!車から降りてすぐ家がある!

子どものときに新しい家が建つのって嬉しいですよね。
上棟にあたるんですかね…家が建った日、私はそろばんの大会があり家を空けていました。


夜帰ってきたら家が建ってるーーー!ニコニコ


どうやら別の所で組み立てた家を持ってきて載せるだけ、みたいな工法だったようです。

そのお陰で東日本大震災のときに助かりました。



ダイヤグリーン津波


実家は道路と漁港を挟んだらすぐ海、というめちゃくちゃ沿岸部にありました。岩手県です。

うちの地域は震度6強でしたが、とても揺れたのを覚えています。
キッチンのものは殆ど倒れていて、うわー掃除大変だなとか思っていました。

津波も、割とすぐ来たなという感覚です。

地震発生時、ちょうと祖母(同居)が不在で探し回っていたら外から帰ってきました。
どうやら回覧板を渡しに行っていたようです。

それから一緒に逃げようと言いましたが、逃げないの一点張りで…。

ダイニングテーブルの下に座って動かなくなってしまいました。

祖母を置いて1人で逃げることもできず、とりあえず海の様子でも見に行くかと2階のベランダに行きました。

そしたらもう既に迫っている津波が見えたんです。

怖くなった私は1階にいる祖母の元に行くことができず、階段の上から「ばあちゃん津波!!」とだけ言ってすぐさまロフトに上がりました。

2階よりもより高いところにいた方がいいと思ったからです。

ロフトで柵にしがみついていました。

窓からは普段絶対に見ることが出来ない海が見えて、壁に亀裂が入っていきました。

「しぬ」

そう思って父にメールしました。
(通信の関係で助かってから届いたのでめっちゃ気まずかったです…!)

しばらくしてロフトの窓から外を覗いてみたんですね。
実家、津波の前に増築していて、その窓は普段は外が見えるはずがないんですが、増築部分が離れたため見ることができました。

最初、何が見えているか分かりませんでした。
実家の位置が変わっていたからです。

全く気付きませんでしたが、私は家と一緒に津波に流されていたようです。

家が電線に引っかかって海に行く前にとまってくれたのが幸いでした…!

そこから、どうにか脱出しようと家中の窓を見て回りましたが、安全に出られそうなところがなく…。
(このとき家の中にあったスリッパを履いたのが正解でした◎)

一番安全に出られそうなロフトの窓を割ろうとしましたが、近くにあったのが軽めの地球儀だけで叩いても叩いても全く響かず…ガーン

どうしようかと考えましたが、最終的には腰の高さの引き違い窓から外に出て、電線を伝って屋根が近いところまで行き屋根に上がりました。
どうやって屋根に上がったのかは覚えていません!火事場の馬鹿力です!

屋根に上がると、高台に近所の人達が避難しているのが見えました。
私もそこに行きたいと思って屋根を降りようとすると、そこに居た年配の男性が、

「助けに行くから待ってろ!」と。

おじいさんと言っていい歳の方が2人、屋根の近くまで来てくださいました。
(このお2人には後日親と一緒にお礼に行きました…!)

その後は高台に避難していた親戚のおばあさんと一緒に別の親戚のお家に行きました(田舎なので近くに親戚がいっぱい!)

仕事に行っていた母と再会できたのは翌日。
父と兄と再会できたのはその翌日でした。(職場が遠い)

祖母は幸いにも、約3週間後に、流された家の近くで見つかりました。
行方不明の方が多い中、本当によかったと思います。

今でも、あのとき私が一緒に2階まで上がっていれば助かったんじゃないかと思うときがあります。
思ってもしょうがないのですが…。


そう!家の話をしたかったんです。
震災後、実家近くの他所のお家を見ると、みんな流されることなく、2階の天井以上まで波が来ていたんです。

うちは別のところで作った家をそのまま載せる工法だったので、早々に基礎から家が剥がれ波に浮くことができました。

じゃなかったらロフトにいた私は溺れていただろうなと今でもぞっとします。

貝塚のとき、そういうお家にしてもらっていてよかったなと本当に思います…!
ちなみにセキスイハイムさんです(鉄骨ではない)キラキラ

奇跡の連続で九死に一生を得たので、今日も元気に頑張ろうと思いますびっくりマーク


(1階は潰れましたが、2階は腰ぐらいの高さまでしか津波が入ってこず、ベッドやコタツは浮いたため上に置いていたものは無事でした!※ノートPC)

財布を入れていた鞄が行方不明だったのですが、財布に母と兄のケータイ番号を書いた紙を入れていたため後日連絡が来て受け取りました~!
そういうの大事だなと!

現在は防災グッズとか全然用意していないので早々に用意したいと思います。
少なくとも新居では…!


次回はインテリアコーディネーターさんとの打ち合わせに入っていきたいと思います~。


どうぞよろしくお願いします照れ