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『蟻の兵隊 日本兵2600人山西省残留の真相』(新潮社)が文庫化!!

ドキュメンタリー映画監督・池谷薫氏からのお知らせです。以下抜粋添付。



拙書『蟻の兵隊 日本兵2600人山西省残留の真相 』(新潮社)が文庫本になりました。【本日(7/28)発売】

http://www.amazon.co.jp/%E8%9F%BB%E3%81%AE%E5%85%B5%E9%9A%8A%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B52600%E4%BA%BA%E5%B1%B1%E8%A5%BF%E7%9C%81%E6%AE%8B%E7%95%99%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%9B%B8-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B1%A0%E8%B0%B7-%E8%96%AB/dp/4101329613/ref=sr_1_5?ie=UTF8&s=books&qid=1280492160&sr=8-5

この本は、映画では伝えきれなかった山西省残留問題の真相に、膨大な資料や元残留将兵らの証言をもとに迫ろうとしたものです。

思えば、映画の主人公である元残留兵・奥村和一さんから私のもとにダンボール3箱分の資料が送られてきたのは、出会った翌週のことでした。
その一枚一枚が奥村さん自らコピーを取ってくれたものと知ったとき、私はこの事実を一人でも多くの人に知ってもらおうと覚悟を決めました。
86歳になった奥村さんはいま、がんと闘いながら、なおも真相究明に執念を燃やしています。彼らの戦いはまだ終わっていないのです。
文庫の刊行が、彼らにとって何かしらの力添えになることを願ってやみません。

チベせん日記
本の内容:
ポツダム宣言受諾後も上官の命令に従い、蟻のごとく黙々と戦闘に明け暮れた――。
彼らに、敗戦後の死闘という不条理を強いたのは誰だったのか? 祖国のために戦い、長い抑留生活を経て帰国した「蟻の兵隊」たちを、なぜ国は逃亡兵として冷酷に切り捨てたのか?
あれから60年余が過ぎた今、生き残った元残留兵らの執念が、歴史の闇に葬り去られた驚愕の真実を暴き出す!


自分も山西省日本軍残留問題 については映画『蟻の兵隊 』ではじめて知りました。


敗戦後、支那派遣軍第一軍司令官・澄田ライ四郎中将は、A級戦犯追訴を逃れるために「総隊は皇国を復興し天業を恢弘するを本義とす」という偽りの総隊長訓のもと、閻錫山率いる国民党軍に自身の部隊を売り渡し逃亡。結果、日本兵2600人は国民党軍に編入され戦後も4年間、中国共産党との内戦を戦うこととなった。

4年間のうちに約1600名は日本へ内地帰還できたが、残り約1000人のうち約550名が戦死、残りは中国共産党軍により長きにわたる俘虜生活を強いられた。奥村さんもその一人だ。

しかし、長きにわたる捕虜生活を経たのち帰国した元残留兵は国から自身の意思で残留した「志願兵」とされ、現在も軍人恩給が支給されていない。

これは政府が軍命による残留と認めると、ポツダム宣言に定める日本軍の武装解除に違反することになるからと言われているが、自身の保身の為に部下2600名を売り渡してきた張本人の澄田ライ四郎元中将は、戦後、恥知らずにも、


「彼らは自分の意思で残留した」


と、国会で証言している。


池谷監督のお言葉にもありますが、映画の主人公である奥村和一さんは86歳の現在もガンと闘いながら真相究明の為に戦っておられます。奥村さんの戦争はまだ終わっていません。

自分も池谷監督同様、一人でも多くの方にこの事実を知ってもらい、そして一日も早く彼らの名誉が回復されることを願ってやみません。


チベせん日記
池谷監督と奥村和一さん

(昨夏、新大久保での上映会&トークショーにて)