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志津川へ墓参り

昨日、志津川(南三陸町)にある祖父母の墓参りに行ってきた。

例年なら参拝後に親戚宅(かっちゃんおばちゃん家と呼んでいた)に寄り、三陸の美味しい海産物を御馳走になって帰ってくるのが墓参りの何よりの楽しみだったのだが、3.11の津波でそこの家のおじちゃんもおばちゃんも被災して亡くなり、今年はその新盆も兼ねての重い墓参りとなった。


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画像は陸前戸倉駅付近の山林。杉の木が茶色く枯れているのが津波の到達した高さと思われる。20mはあるだろうか、いかに巨大な津波だったかを物語っている。


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まず墓へお参りに行く前にそのかっちゃんおばちゃん家に寄る。

志津川の親戚の本家はウチの母方の実家なのだが、ウチの実家は戦後の農地改革でGHQに“不在地主”とされ田畑を没収されてしまい、その後仙台へ移住してしまったので、以降、本来本家が志津川でやるべきことのほとんどをこの家に頼りっぱなしだったような気がする。

3.11の日、地震後すぐに津波警報が発令されたのだが、寝たきりのお婆ちゃんがいたので「ばぁちゃん置いて行かれねっちゃ…」と自宅に残り、三人とも津波に飲まれたそうだ。

かっちゃんおばちゃん、マサおじさん、それにツメ婆ちゃん、いつも美味しいものをたくさん食べさせてくれてありがとう。どうか天国でも三人で仲良く暮らして下さいね。


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続いてお墓参り。お寺は本堂も庫裏も流されてしまったが、前回4/17に来た時と比べると瓦礫の撤去はかなり進み、とりあえず境内まで車で乗り入れることができた(前回来た時はまだ道が無かったのでR398から歩いてここまできた)。


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こちらが在りし日の本堂の写真(2009年撮影)。


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祖父母の墓はお寺の裏山の急斜面を登った高台にある為、津波の被害を免れ無事だった。


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遠く志津川湾が一望できるこの場所は祖母のお気に入りの場所で、「誰もお参りに来なくていいから死んだらここに埋めてちょうだい」が祖母の遺言だった。今となっては祖母が大好きだった生れ故郷の志津川の惨状を見せなくて済んだのはせめてもの救いだ。


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震災前にほぼ同じ場所で撮影した写真(2009年撮影)。


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亡くなったおじおばのお墓も参拝する。地震で法名碑が倒壊し、法名が刻めていないが先週ようやく葬儀をあげることができたので真新しい卒塔婆が三つ立っていた。合掌。



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参拝後は志津川の中心部に寄ってみる。写真は志津川魚市場付近からサンポート方面を撮ったもの。


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こちらは4/17に同じ場所で撮影した写真。こうして比べるとだいぶがれきの撤去作業は進んでいるようだが県の二次仮置き場が決まらず一次仮置き場は飽和状態になっているのが問題となっており、先日緊急的措置としてがれきの一部を青森県三戸町の民間最終処分場で処理することが決まったことが新聞に掲載 されていた。


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さて重苦しい気持ちはここまで。お次は朗報です^^

3.11の大津波で被災し、会社屋も店舗も失った南三陸町の有名店、『山内鮮魚店 』さんが8/10に復興の第一歩となる仮店舗をオープンさせました!!

場所は町の中心部からR45を歌津方面へ5分ほど北上し、信号がある交差点をベイサイドアリーナ方面へ右折、300mほど行くと道路沿い右手にあります。


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まず店内に入って驚いたのはしばらくは食べることができないだろうと諦めていた志津川たこが売られていたこと!!

自分は毎年志津川のタコ漁が解禁になるとわざわざ食べに行く くらい志津川のたこが大好きなので嬉しくてチョッピリ泣きそうになった。。


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しかもタコだけではなく同じく志津川産の毛ガニや、


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ワカメや昆布、それに、、


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気仙沼産のメバチマグロやヒラメなどなど仙台でも見かけない地元宮城産の海産物が売られており、未だ復興には程遠い中、歯を食いしばって頑張っておられる漁師の方々がいるのだと思うと胸がいっぱいになった。三陸の漁師さんもヤマウチさんも頑張れ!!


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再開と言えば町のセブンイレブンもプレハブの仮店舗で営業を再開しておりました。こっちもガンガレ!!

その他、南三陸町で営業を再開したお店はコチラ↓↓


『南三陸町お店再開情報マップ』

http://minamisanrikushien.blogspot.com/2011/05/blog-post_31.html


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この日の晩ごはんはヤマウチさんで買ってきたメバチマグロとタコとヒラメ昆布〆のお刺身。震災からわずか五ヶ月で自宅の食卓で再会出来るとは思いもしなかった。志津川たこウメェ!!


今年のお盆は気が重い墓参りになると思っていたが、三陸の海で踏ん張っておられる方々の思いに触れ逆に励まされたような気がした。


やはり宮城の復興は海からしか考えられない。