青海チベット鉄道の旅2008 | チベせん日記

青海チベット鉄道の旅2008

先日、2008年に青海チベット侵略鉄道で同部屋になり、北京からラサまでご一緒した滋賀のY子さんが仙台に遊びに来てくれ、その時列車内で写した写真をたくさん頂いた。

そういえば飲んだくれてばかりで列車内の写真もほとんど撮ってなかったし、己の写真を撮ることなんてまずないので、こうして二年ぶりに(客観的に)見てみると旅の記憶がよみがえってきてとても不思議な気持ちになる。

そんなワケで一人で楽しむのももったいないと思い、今回は列車内の写真の数々をUPしたいと思います^^


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出発前の北京西駅のプラットホーム。

(たぶん同じころ自分は狂暴にトイレを探しまわっていた)


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21:30定刻通りに発車。もちろん旅情気分に浸ることなくさっそく食堂車で飲み始めるオレ。隣は車内で一緒になった日本人M氏。



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翌朝の硬臥(二等寝台)室内の写真①。

隣は“基本的にはいい人”なのだが大中華思想の持ち主の中国人C女史。


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翌朝の硬臥(二等寝台)室内の写真②。

向かって左は韓国人のFさん。ちなみにFさん、C女史共、日本語が堪能で、図らずも日中韓の同世代が同部屋に揃ったことになる。(←これは中国政府が絶妙に部屋割りをしていることに後で気が付く)


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車窓には中国の農村地帯が続く。写真は洛陽を過ぎたあたり。


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西安駅着。ここで20分ほどの休憩が入り、初めて列車外に降りることが出来る。


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乗客のお目当てはもちろん買い出し。車内でもなんでも手に入るが、当然市価よりは高いので、こういうチャンスにしっかり買いだめしておく。


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パン、野菜、果物etc...呆れるほどなんでも手に入るので、初めから買い込んで乗り込む必要はない。


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買い出しした食料を早速食べている“基本的にはいい人”だがひたすら前へ前へ出てこようとするキャラクターのC女史。右が今回の画像提供者Y子さん。


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ちなみにこんなものを食べている。


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せれぶなボクは列車内をゴンドラで売りに来る弁当(20元)を買ってみました。


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結論からいくと美味くもマズくもなかった。


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食後は各々読書タイム。


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車窓は中国の農村風景が続く。

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中国の農民の平均月収は年々上昇傾向にあると言いきる国家当局の発表ですらだいたい日本円で8000円くらい。チャイナマネーが世界を席巻する一方でこの格差は一体なんなんだろうと思ったあなたは直ちにアグネス・チャンに電凸して聞いてみよう♪

(※WTOによると中国の労働分配率の低さは世界最低水準。ちなみに不況にあえぐ日本だがそれでも労働分配率は世界一高い)


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二日目夕方。

ディナータイムの食堂車は混雑するので早めに行くことにする。

写真左下でふてくされているのはこの列車の副機関長。

鳴り物入りで開通した青海チベット鉄道の“花の北京ーラサ”間の副機関長をこの若さで務めているということは中国ではスーパーエリートということになる。事実、例え客だろうとも中国人に対しては傲岸不遜な態度で威張り散らすので折に触れて絡んでやったら最後の方は出てこなくなった(笑)。


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料理の数々。
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中国は味付けが濃いので覚悟をしていたらライトな味付けでまぁまぁ美味かった。ちなみにチベ鉄は出発駅で料理の味が違うらしい。例えば上海発は上海料理、成都発は四川料理などなど。


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写真のどん兵衛は近畿日本ツーリストの団体客から奪ったもの。そろそろ高度が上がってきているのでパンパンになっている。


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深夜の食堂車内の風景。油断していると日ソ中立条約を破ってロシア人が南下してくるので注意が必要。


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写真左奥はチベット人チーム、右奥は韓国人チーム。蔵韓友好の貴重なスナップ。


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食堂車が大繁盛で厨房はてんてこ舞い。


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食材は“衛生的”に保管されているのでとっても安心。


この日はNew Year's Eveなので上の写真のように深夜まで食堂車で騒いでいた。


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三日目早朝5:23ゴルムド駅着。


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ここで列車は中国製機関車からGE社製ディーゼル三重連にヘッドを切り替える。標高2800m、プラットホームに降りてみると空気が刺すように冷たく、そして薄い。いよいよチベット圏内へ入ったことを感じる。


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列車内から見るチベットの夜明け


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朝焼けの大地も美しい


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ゴルムド以降は風景が一変する。その美しいチベットの風景を撮影中の韓国人Fさん。一方、隣は朝方(3時半)まで飲み倒していて絶賛爆睡中のセンチメンタルのかけらもないオレ。


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パンパンに膨れ上がったお菓子の袋を嬉しそうに見せてくれるキムチおじさん。(美味しいキムチをありがとう♪)

が、この後彼は持ち込んだキムチの袋をタングラ峠付近で爆発させ、車内を阿鼻叫喚の渦におとしいれる。


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ゴルムド以降は車内の与圧調整が入るので密閉の上、全車両禁煙なはずなのに、取り締まる側の公安が通路の窓を開けて平気でタバコを吸っている。なので「飛行機並の酸素給与・与圧調整」「絶・対・に!!」信じてはいけない。事実、公安に聞いたところによるとチベット鉄道開通以降の一年間で既に8名の日本人観光客が亡くなっているという。つーかお前が直ちにタバコを消せ。そして窓を閉めろ。


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当然酸素は足りなくなる。(※ゴルムド以降は車内で酸素吸引器が配られる)


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三日目の昼食風景。


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韓国女史たちはみんなチューブ入りのコチュジャンを持っていて、それを各々好きな野菜につけて食べていたのだがこれがまた美味い。一方、中国女史たちはこれまたチューブ入りの豆板醤を持っていてこちらも美味。そう考えると「日本にチューブ入りの味噌なんてないよなぁ、あっても日本人女性が持ち歩くことはまずないよなぁ」と食文化について少し羨ましくも思った。しかし、その野菜が“衛生的”保管されていることを彼女たちは知らない。


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自分は顔見知りになったチベット人のところでツェンパをご馳走になった。ちなみにこのツェンパは彼のシガツェにある自宅の畑で自家栽培しているものなんだそうで、なるほど今まで食べたことのあるツェンパの中では断トツぶっちぎりで美味しかった。つーかこれを食べるまでツェンパに味の違いがあるなんて思わなかった^^;


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ダムニェン弾きのお兄さん。なんでもラサのホテルへ出稼ぎに行くのだとか。


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先ほど部屋割りについて「政府が絶妙な部屋割りをしている」と書いたが、簡単に説明すると、


←|硬臥①|軟臥|食堂車|硬座|硬臥②|公安車両|


となっており、外国人は硬臥①か軟臥、チベット人は食道車をはさんで後方、基本、外国人の乗れない硬座か、硬臥②(こちらは逆に外国人はいなかった)以外には乗っておらず“なるべく外国人と接触しないよう”に配慮されていた。

また外国人についても欧米人は他の外国人となるべく一緒になることがないように配慮されている節があり、事実我々は日中韓ごった煮の部屋だったが、ロシア人は団体だけではなく個人旅行者もきっちりロシア人だけの部屋割りになっていた。この辺は白人にめっぽう弱い中国人の劣等感が如実に伺える(苦笑)。

(※ちなみに中国人はすべての車両に乗れます)


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放牧している風景に出くわすと最初はみんなこぞって撮影するのだが、途中からヤクくらいでは見向きもしなくなる。

(遠くに見えるのは悪名高き「定住村」だろうか)


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車掌の話ではゴルムドーラサ間に鉄道を敷設する際、路線区画に引っかかっり、立ち退きになった家はわずか一軒だけだったそうだ。

ホントかよ、とも思ったが、事実だとしたら物凄いアンラッキーな家族だ。。


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これはたぶん工事現場の詰め所か飯場のようだ。トラックのタルチョーがいい(笑)。


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聖ツォナ湖畔を通過。電車で通過するのが失礼な気持ちになる。


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夏場は青い空を反映してさぞかし美しいことだろう。


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道に迷ったヤク兄弟。


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こちらはダワ・サンボの帰りをただひたすら待ち続けるヤク。


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安多を通過。


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しばらくしてナクチュ駅着。ここは10分くらい停車するので下車できる。


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が、特に何もない。


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辺りを見渡すと新たにチベットへ入植と言う名の侵略をさせるためのインフラ工事がちゃくちゃくと進められている。

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こちらは食堂車内で次の侵略先についてミーティング中の車両スタッフ及び公安。


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夕方、圧倒的な存在感のニェンチェンタンラ鋒(7142m)が見えてくる。

余談ながら仙台博物館での「聖地チベット展」の開催にあたり、抗議の矢面に立たされた博物館の責任者、金森副館長は80年代初頭に学術調査でニェンチェンタンラを登頂されたことがあるそうだ。


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夕暮れの車内。あともう少しでラサに着いてしまうのがなんだか惜しいような気がした。


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20:20ラサ駅着。あっという間の48時間の鉄道の旅だった。


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ここで皆さんともお別れ。それでは韓国チームの皆さん、カトマンズで再会しましょう♪


以上、2007年12月30日~2008年1月1日の三日間、北京ーラサ間(4068km)青海チベット鉄道に乗った時の写真でした。

Yさん、画像提供ありがとうございましたm(_ _)m