ネパールの田中真紀子
SFT本部が亡命のため越境したチベット人3人を中国当局に引き渡したネパール政府に対し、国際法を守るようキャンペーンをおこなっております。以下Daysさんの日記のリンク。
Nepal: Stop Repatriating Tibetan Refugees
http://www.mobileplace.org/dias/blog/nepal-stop-repatriating-tibetan-refugees
で、この抗議文を手渡す相手がネパールの田中真紀子ことスジャータ・コイララ副首相兼外相。
彼女は今年の三月に亡くなったネパールの偉大な金権汚職政治家・ギリジャ・プラサド・コイララ前首相の娘で、かつボリウッドのトップスター女優・マニーシャ・コイララの(ネパール的には)伯母にあたる人物。
コイララファミリーと言えば今やネパールでは知らない人はいない名門中の名門一族。
M・P・コイララ、B・P・コイララ、G・P・コイララと兄弟から三人の首相を輩出し、それがギネスブックにも掲載されているほどの華麗なる一族だが、ラナ家摂政政治終焉後、政治活動を始めたばかりの頃は不遇の時期もあり、特にネパールの民主化運動のパイオニアとして現在も多くの国民に親しまれている次兄B・P・コイララ氏は時のマヘンドラ国王との激しい対立から逮捕→投獄→亡命の憂き目にあい、その政治家人生の大半を投獄・亡命生活に費やした。
今では考えられないことだが、その頃のコイララ家は悲惨なもので、父親の葬式代にも欠く有様で、ビラトナガルの素封家に生れた知人は高校生の時に親の命でコイララ家に葬式代を届けに行ったことがあると言っていた。
そういう意味では一番おいしい思いをしたのは末弟で長生きしたG・P・コイララ前首相だと思う。
特にパンチャヤット制 終焉後の90年の民主化後の初選挙で自身率いるネパール・コングレスが圧勝し単独過半数の第一党に躍り出るともうやりたい放題。
この人、統制能力にはイマイチ欠けるところがあるものの、不思議な貫禄があり、権謀術に長け、以降20年間、政党同士の離合集散、内戦、王政廃止と混迷を極めるネパールの政治の世界において終生権力のトップの座に君臨し続けた。
もちろんその間、利権をむさぼり続け、ODAという形で渡った日本国民の血税も相当額彼の懐に入ったと自分はみている。(もっともヒモ付き援助なので請け負ったゼネコンから日本の政治家にもキックバックしてると思うけど)。
みっともなかったのは第二期コイララ内閣時(この時は連立政権)におねだり外交で初来日した時のこと。
目に余る汚職が日本政府にも伝わっていたのか、選挙で選ばれたネパールの首相としては初来日だったにもかかわらず、時の小渕首相には会ってもらえず、担当閣僚の高村外相(当時)も「ASEANの会議があるから」とそっけなくクアラルンプールに行ってしまい、肝心のおねだりの方も「過去の資金援助の会計報告がされていない」と一蹴され、結局一人の閣僚にも会ってもらえないまますごすごと帰って行った。
迷惑だったのは自分で、たまたま所用があって帰国していたら、東京まで呼び出され、随行員の「夜のローカルガイド」をさせられて酷い目に会った。。
腹いせに帝国ホテルでツケまくったけど(笑)。
まぁG・P・コイララ氏が汚職政治家だったのは間違いないが、ネパールはコネ社会なので日本的な感覚で簡単に断罪するのは少々アンフェアな気もするし、また権力があったからこそ目立つだけでそんなこと言いだしたらネパールの政治家は大なり小なりみんな汚職政治家になってしまう(苦笑)。
だからこそ国民もそんな事実を知りながら、不人気のギャネンドラ(元)国王の代わりに「国父」的な尊敬の眼差しでG・P・コイララ氏を見ていたんだと思う。
かくいう自分も一度だけマハラジガンジ(だったと思う。記憶曖昧)のご自宅に招かれたことがあったのだが、スラリと長身の非常に知的かつ温厚な老紳士で、その醸しだすオーラに、(おースゲェ、こりゃ格が違うわw)と思った。
事実、あのくらいの「格」を感じさせる政治家に日本で会ったことがない。
とまぁ本当はその娘、スジャータ・コイララ外相を書くつもりだったんだけど、長くなったから続きます(笑)。