生誕100周年記念 山中貞雄監督特集 | チベせん日記

生誕100周年記念 山中貞雄監督特集



チベせん日記


明日2月6日からせんだいメディアテークにて『山中貞雄監督特集』が開催されます。

http://www.smt.jp/yamanaka/


昭和7年に弱冠22歳で監督デビューし、中国戦線に招集される昭和12年までのわずか5年の間に26作品を監督。


「その大部分の作品が天才的な発露として賞賛に包まれていた」(映画評論家:佐藤忠男)


という戦前の日本を代表する天才映画監督。


山中貞雄を初めて知ったのはイギリスに住んでいたときに見たBBCのドキュメンタリーだったのでもうかれこれ15年近く前のこと。

以来、なんとしても見てみたいと思いながらようやく三年前に見た『人情紙風船』の衝撃は今でも忘れられない。

もうあまりの面白さに驚愕して見終わった後、思わず最初からもう一度見直したくらい。

凄い映画はたくさん見てきたけど見終わった後、驚いて最初から見直した映画は後にも先にも『人情紙風船』だけだと思う。


舞台は江戸の貧乏長屋。そこの底辺で生きる人々の救いようのない生活を描きながら、時にはこっけいで思わず苦笑してしまうシーンがちりばめられており、それがまた悲しさを誘うスパイラル。

これを弱冠27歳で撮ったというのだからもう驚愕。こんな監督二度と現れないだろう。


また傘張り浪人・海野又十郎役の歌舞伎役者、四代目河原崎長十郎がいいんだよねぇ。

もっとも実生活では毛沢東主義派として文化大革命を絶賛したり、日本共産党除名に抗議して北京にプチ亡命したりする“困ったさん”だったらしいけど。


残念ながら山中作品26作品中、ほぼ完全に近い状態で残っているのは『丹下左膳余話・百萬両の壺』、『河内山宗俊』、そして『人情紙風船』のわずか3本だけなのだか、自分が驚愕した『人情紙風船』ですら山中作品では平均的なものだというから最高傑作とよばれている『街の刺入墨者』とはいったいどんな作品だったのだろうと思うと、いつの日かこの作品がどこかから発見される日を願うばかりだ。


人の命に優劣は無いが、この天才映画監督をわずか28歳で中国戦線で戦死(正確には戦病死)させてしまった当時の陸軍の罪はあまりにも大きい。

葬儀委員長は山中を弟のように可愛がっていた小津安二郎が務め、その碑文には小津の書で、


“その匠意の逞しさ、格到の美しさ、洵に(まことに)本邦芸能文化史上の亀鑑(きかん)として朽ちざるべし。”


と記されている。小津は山中の死が相当ショックだったらしく、「こんなに惜しまれながら死んでいく映画人は山中以外にいない」というようなこと言っている。(余談ながら小津は死の直前の山中に南京郊外で会っている)。

また、同世代の黒澤明(黒澤は山中の一つ年下)も、「もうすごい才能。夭折したのは日本映画の大きな損失」と述べている。


後に巨匠と称される小津と黒澤だが、この二人が大芸術家だとすれば、山中貞雄こそ天才映画監督と称するにふさわしいだろう。

自分は『人情紙風船』しか見ていないが、その一本をもってそこまで言い切ってもいい、生きていればきっと日本の映画界のみならず世界の映画界に多大な足跡を残したに違いない、そう思わせるのが山中貞雄です。


長くなったけどそんな山中作品が見られるまたとないチャンスです。(ほんとメディアテーク大好き!)


皆さんもぜひお見逃しなく^^