古代ローマの建築物は細部までこだわりが見えて美しい。
(全てがそうかどうかは分からないけど)
このポルタマッジョーレの水道は異なる2つ以上の水源から個別の水が
引かれていた歴史を持つ。従って、一つの水道橋に複数の管が通っているのである。
(水をブレンドすると、どれか一つの水源が汚染されたときに、全てが使用できなくなるため)
水道会社が始まるずっと以前から、
水道を遠方から引いてきたローマ。
水という不可欠な物資が都市拡大のボトルネックになることを
いち早く気づき、さらにティベレ川が直ぐ傍に流れるにも拘わらず、
遠方から湧き水を採取して延々人工の構造物を作って水を引いてきた歴史がある。
近世になって、ロンドンがテムズ川、パリがセーヌ川より
水道を引いてきたのとは大きな違いがある。
これらは、下水の直ぐ近くから水道を引いたがために
病原体を広げる温床となっていた。
本に書いてあったことは確かだけど、
それは事実で、なぜローマだけが、という
問いには答えてくれなかった。
ポルタ・マッジョーレを散策し、ウフィーツィーの
マーカスアグリッパの顔をじっと見ていたとき、
なんとなく分かってきたことがある。
ここからは完全に憶測だけど、
ローマにとって、労を惜しんで、土地に手を加えるのは
習い性になっていて、当たり前のことだったのではないか。と。
かの地は何しろ、ローマ人が入植する前は低湿地だったのである。
ここを住めるように干拓したのが、ローマの初めだった。
マーカスアグリッパの顔が苦渋に満ちたもののように見えたが、
恐らくそれはとてつもなく大変なことだったのだと思う。
でも、何故、ベネツィアが経済力を得てからも、
他のもっと住みやすい場所に移らずに、湿地帯に住み続けたのか。しかも世界に類を見ない
きらびやかな大理石の都に変えたのかを、合理的に判断することが難しいように、
そこには身体化されたものが潜んでいるように思える。
限りある生のもとに生まれた人間と、半永久的に残る人工物。
半永久に残るからこそ、人間をサポートすることができる。
かつ半永久的に残るからこそ、美しくあることをが必要となる。
21世紀の人工物は自然との対立で表現されたり、自然以上には価値がないもののように
捉えられがちである。だが、ローマの建造物を見ていると、人間は素晴らしいものだし、
創造的な立場にあるものにとっては、謙遜やためらい、後悔は美徳ではないと思うのだ。
ローマはローマの枠組みの中で、これ以上ないくらいに成熟した。
そして、フロンティアがなくなった時点で、ゆっくり衰退したのだと思う。
だから、精神的に堕落したから衰退したのではないのである。