美輪明宏オリジナル(1965)


銀巴里でシャンソンを歌っていた美輪明宏が筑豊の炭鉱町に公演に行ったとき、満員の労働者を前にして、私には彼らに聴かせる歌がないと衝撃を受け、作詞作曲を決意した。

銀巴里に来ていた東大生(建築科)と仲良くなり、身の上話を聞いて曲の着想を得る。
学生の母親は土木作業員をして女手一つで息子を育てたのだった。

息子は高度経済成長の日本を築いた技術者になったという最後は夢のある物語。

ヨイトマケは地固めの綱を引くときの「ヨイと巻け」というかけ声から。

完成した曲は40万枚のヒット。紅白のオファーもあったが、曲の短縮を求められ拒否して辞退。

しばらくして、歌詞の「土方」「ヨイトマケ」が差別用語だと民放連が理不尽にも要注意曲としたことで、民放で放送されなくなった。

そんな状況を打開したのが桑田佳祐だった。
2000年、自身の「音楽寅さん」(ビートルズの完コピ替歌もやってましたよね)という番組でカバーしたところおおきな反響があり、再び民放でも美輪が歌い評判に。2012年の紅白では6分間フルで放送された。

以上Wikipediaから要約


米良美一カバー

自身の両親が土木作業員だった米良美一さん
すぐ感情移入できてカバーしたそうです