結論から言うと▶︎可能
このところお話ししてきた
意識を向け続けているものが大きくなるというものの
延長線上の話しなので
日々のトレーニングが癖のように定着することで
獲得できるものだ、というか
そうなったときに
存在波動として高まっていく
という類のものなんだろうなと思います。
前記事の『南部鉄器』の話しから、
(物も含めての)存在波動の品(品位)の話しになって。
…今、記事を書くために『品位』を調べたら
『人に自然と備わっている、心の高さ。』
▶︎自然と備わっている
うん、むっちゃハードルの高い話しになりそうよw
『見る人が自然に尊敬したくなるような気高さ、おごそかさ。』
▶︎自然と尊敬したくなるような
ね?(*´艸`)𐤔𐤔
………………………………………
飾りとしての『品』の話しじゃなくて、
その人が生きてるグルーヴみたいなものが
人として くそダサい……
(爆°∀°笑) あまりにも品がないってそれwww
大変不愉快に滑稽で在らせられますゆえ遺憾の意を表したく存ずる人にね…
ꉂ( ᵔ̴̶̤᷄∇⃚⃘⃙̮ ᵔ̴̶̤᷅ )キ”ャ′‵′‵
(そんな笑ってくれるんかい!っていうwwww)
話してて、
滑稽▶︎すべってる▶︎ダサい
ってことだったのかな?って思って。
大事なところ(物事の核)を捉えることのできていない様に対して
ドン引き =͟͟͞͞(꒪⌓꒪;)引。←ダサってなるとこ。
本来、大事で、美しいはずの
物事の本質を掴むことのできていない
能力の足りなさに対して引いているのか、
そこに美を感じることのできていない
感性の貧困さに対して引いているのか。
単なる知識ではなく
『知性』が欠けている人や
その振る舞いに対して、
ダサさが目にしみる的なwww
目も当てられないくらいダサく、悲惨に見えるんだなって。
ここまで辿り着いたところで
ちょっと外を見に行ったんです。
同じ感覚の方がいらして
▶︎思慮浅いという状態に、
人は美を感じないからなんですね。
…ってことは、
『美』に対する感度である美意識
これがそのまま その人の『波動』を表している
ってことなんですよねぇ。
その人の美意識のレベルによって
どれだけ『建設的な』思考をするのかが
決まっているのならば。
↑これ、だいぶ革新的な核心やと思うw
思考の伴わない
中身スッカスカ、みたいなものに対して
波動レベルの低さを感じるのは
当たり前のことだと言える。
思考力や思考量といった
本物であるために必須な中身、
その中身のないことを隠すために、
緩衝材としての発泡スチロールに
他者が切り捨てづらいからという理由で
「感性」という名前をつけてw
(とりあえず「感性」って言っておけば
それ以上攻め込まれることもなく、逃げ切れるし、説明も不要、
本当は無いものを無いと言わせずそう見せないために欺くことを意図して選択している
▶︎むっちゃ波動低い!w)
過量に詰め込み、
さも価値のあるもの風を装うために
過剰にラッピングするからこそ
ダサい ▶︎粋なところがなく野暮ったい
ってことになるんだろうから。
波動への感度や、
波動そのものを高めることに於いては
訓練的な努力ができるってこと。
でもそれは、
単に「感性」の話しではない。
いかに『建設的な』思考ができるかという
ある種の自己表現的な思考力が
感性を言葉に置き換えたり
感性をイラストに起こせたり
という
感性をセンスとしてアウトプットできるかどうかを
握っているってことだから。
これは、
ただ自分を『盛る』ための、
一瞬のための
薄っぺらい美意識の話しじゃないよ。
世界を美しく捉えようだとか、
自己表現に磨きをかけようだとかの
心が上を向き
品性とともに生きようとする姿勢のことね。
前者を、自分に当てるピンスポットとするなら
後者は、自分と周りに降り注ぐ太陽光みたいな。
周りの「いのち」を
大切に育むための
太陽みたいに温かく輝く光こそ
『品位:見る人が自然に尊敬したくなるような気高さ、おごそかさ。』
でしょ(о´∀`о)