「好きだけでやっていける。」はずだった。 | 練習帳

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その小さなテレビは大きな音量でワイドショーを流してる。手元の匙はちゃんと利用者さんの口元を押さえてる、つもりだったが ああ、こぼれてた。しわしわの口元は 絶えず動いているようには見えるけど 食べているのか?と問われれば、実はわからない。口元の動きがとまった。
「ごちそうさま?」クビがゆっくり前に動く。「はーい。ごちそうさまでした」食器の類を片付ける。次はお薬を飲む手伝いだ。
介護職のパートについたのはまったくの偶然に近い。コドモができて専業主婦になったはものの、すぐに”足らないもの”が 見えてしまった。それでもコドモが幼児のうちは、日々は明るく、騒々しく、速やかにそして穏やかに流れていった。けれどコドモはいつまでも幼児ではいられい。
”足らないもの”の影が だんだん大きく重くのしかかる。
夫とは学生時代、同級だった。好きだった、と思う。たくさんはなしをした気がする。けれど今は何の話をしていたかすらうろ覚えで思い出せないことが多い。
家にいるときの夫は 楽しそうにも見えるし、つまらなさそうにも見える。乱暴もしないし、口うるさくもないし、理解もはやくて頼めば家事も雑事も苦にする様子もみせずにやってくれる。
外での夫はよくわからないが たぶん本当に浮気もしていないだろう。
足らないのは 収入だけ。そうも見える。

悲しいのは お金が足らない それ自体じゃない。”足らない”に 知らん顔し続けていられる、そのことだ。彼には私とともに、が かけらも見えない。共に考えよう、共に工夫しよう、共に我慢しよう、共にがんばろう。どれひとつ 見えない。
好きは どんどん 色褪せる。むこうもきっと同じだろう。

郷里に残る友人が 今年は年賀状がこないなと思ってたら、住所が変わってた。離婚したそうだ。彼女は公務員だから いっそ、が踏み出せたんだろう。
たくさんの時間を手放し、余分な心労を貰い、いくばくかの収入を手にしている自分では いっそ をすると 人生がない。


「あ、ごめんなさい。なあに?」利用者さんが何か言っている。
ああ、そうね。もうじき車が来る時間。身支度を手伝う。
チャイムがなる。にこにことスタッフたちがやってきた。
「さ、お風呂いきましょね」精一杯微笑んだ。

「ありがとね。いつもいつも。ありがとう」

利用者さんは 小さい小さい声で でもはっきりと つぶやいた。

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