1.
加齢は、怖ろしい。やる気をことごとく奪っていく。全てに希望を失っている。だが、出来ない、しないを年の所為にするのは、やはり良くない。出来ないことばかりだけど、どこかに工夫がある筈と思っていることのひとつがゴルフスイングです。年を取り、いつも行く練習場の顔ぶれもどんどん変わり、あんなに元気だった人も最近は、来なくなった。ご病気かも知れないし、もっと悲しい報せを聞いた人もいる。庭で素振りをする。ああでもない、こうでもないといろんな工夫が思い浮かぶ。年齢の所為だろうけれどどうしても手打ちになり体を使えない。若い頃のようにスピードも凄さもない。それでも、何か工夫がある筈だ。次回の練習場で確かめる価値のあるもの、次回のコースプレイに役立つものが屹度、どこかに隠れている。探す、求める、それが先ず大事なこと、いいことだと自分に言い聞かせています。
2
七夕(たなばた)
1年に一度しか会えない恋人同士が織姫と彦星の「七夕伝説」と思っていましたが、この二人、実は夫婦なんですね。機織りと牛飼いに真面目だった二人が結婚し、夫婦になると仕事もせずに遊び、怒った天帝が二人を引き離し、天の川を渡り年に一度しか合わせないようにしたというのが本当の「七夕伝説」らしい。
ところで、七月七日をどうして七夕でタナバタと読むのでしょうか?
七夕をタナバタと読むというのは、小さい頃からそう教えられてきましたし、疑問に思わなかった。だけど、よく考えてみるとシチユウ、シチセキなら解るけどタナバタと読むのは何故なのか?
どうやら、昔の日本には、川辺に棚を敷いて水神様に布を捧げる機があり、そのハタオリ機を棚機(タナバタ)と言っていたらしい。(俗世から離れた「棚造りの小屋」にこもって布を織る習慣があり、この「棚」は、布を織る間だけ借りる家の意味を持つ、とする解説もありますが・・) そして、その棚機に仕える女性を「棚機津女」(タナバタツメ)と言っていたらしいが、このタナバタツメの話と、中国の神話、七夕(しちせき)に登場する牛郎と織女の逢瀬を7月7日に祝う話が重なり「棚機」が「七夕」」(タナバタ)になった?ようですね。
棚機津女(タナバタツメ)の「つ」は「の」の意味という解説もありましたが、「津」は水辺や人の行き交う港のような意味を考えると川の辺(ほとり)、水辺小屋の機織り女のような意味も感じます。また、「七夕伝説」の織姫は、天帝の娘、ともありただの巫女では、ないようですし、棚機とタナバタ、七夕の関係、すっきりいたしません。
間違っていたらすみません。