フツーのおうちが良かったなぁ…

って

そう思ってたこともあったなぁ。


フツーのお父さんと

フツーのお母さんで

おじいちゃんおばあちゃんもフツーで

ぬくぬく愛されて育って

お母さんが大好きで

お父さんのことも大好きで

なんにも心配なくて

親からも大事にされて

そういうフツーの人たちになりたかった。





すごい偏見なのはもちろん自覚してる。

それでも

友達の家族を見て

特に問題もなさそうでいいなー

困難とか家族の問題とかなさそうでいいなー

こういう人たちは心屋とかとは無縁なんだろうなー

って思ってた。

そして

それと同時に

なんで私はフツーじゃないんだろう

なんで私はフツーの家の子じゃないんだろう

なんでこんな親なんだろう

なんでこんな家に生まれたんだろう

なんでこんな心のクセを抱えなきゃいけないんだろう

なんでこんな思いをしなくちゃいけないんだろう

なんで私なんだろう

って思ってた。



私だってこんな苦労したくなかった

私だってこんな自分で生まれたくなかった

私は私が嫌い

こんな自分が大嫌い





ってずーーーっとそう思っていました。

それはまだ

自分のことを受け入れられなかった時期。

その時は

「そのぶん自分の心と向き合えるようになったし!」

とか

「自分らしく生きるってことを知ることができたし!」

とか

「そのぶん家族の大事さもわかったし!」

とか

そんな風には全然思えなかった。



だってそれってフツーの人たちは困難さがなくてもできてるんでしょ?

って思ってた(笑)



でもここで書いたように



家族に向き合って

自分自身にも向き合って

そんな自分を受け入れた。

受け入れたっていうと聞こえはいいけど

そんな自分を諦めた

って感じかな。



だってこの家に生まれたのは事実だし。

この両親がいたから生まれたのも事実だし。

もう変えられないし。

うだうだ言ってもしょうがないし。

(でもそれはうだうだをやりきったから思えるようになったことで、無理やり受け入れるのとは違うので、諦めがつくまではうだうだやってもいいと思います!)

良いとか悪いとかじゃなくて

ただ事実を受け入れる。


くそーーー!

しょうがないかーーー!笑い泣き

ってあきらめる。



今は仕方なくこんな私を受け入れてます(笑)

でもそんな私だから見れた景色があった。

そんな私だから出会えた人たちがいた。

そんな私だからいいって言ってくれる人たちがいた。

私は私のままで良かった。

そんな私が私は好き。

今はそんな風に思えるようになりました照れ



綺麗事じゃなく

頭ごなしにでもなく

内側に眠る自分の気持ちを

じわじわ見つけられるようになったのは

ここに飛び込んだから下差しピンク薔薇



実家滞在も明日で一旦終了。家族と一緒にいると昔の自分を思い出すことが多いね。よくがんばったなぁ。