水害で住む家をなくした
事があります。
家の目の前の川が、
氾濫して
借家だったのですが
雨が止んで
川の水が引くまで
水圧で窓という窓
ドアというドアが
開かなくなってしまい
あと
1時間、雨が続いたら
家も流されていただろうし
消防署も
電話を親戚がつなげて
くれたものの
地域全体が今、被害に
あってるから
今すぐ助けに行けないので窓ガラスを割ってでも
外に出て
高いビルまで泳いで
避難して下さい!
と言われ。あまり意味が
ないかった経験を持っています。
川の水が氾濫したので
当然、外は、濁流で
色んなモノが
下の家へ
さらに下の道路へ
すごい勢いで流され
中には丸太なども
流されて行くのが見え
恐ろしい光景でした。
そのうち、
泳いでいる車からは
防犯のクラクションが
鳴ったりしてましたから
子供ながらに
この状況で
泳いだら死ぬと思ったので水が引くか
死ぬかどちらかだな
と
覚悟しました。
一応、浸水してきた
水も腹の所で止まり
雨は止み
水が引いた後も
泥がジャマをして
ドアがあかず
窓ガラスをあけ
避難したのですが

自分が経験して
思ったのは
水害時より
水害の後がとても
言葉に言えないぐらい
大変だったという事です
母は、3時間かけて
職場から
腰より上の
浸水した道路を泳いで
私を
探しに来てくれました。
その日から
母と私は体育館で
避難暮らしでした。
まず、体育館にいると
市役所からお弁当が
被災後
3食配られるように
なりました。
運が良いことに
浸水しなかった
銭湯が近くにあって
お風呂も、不自由しませんでした。
ただ
たまたま、避難した人の
なかに
チンピラの
おじいちゃんがいて
夜中騒いだり
うちの母に
からんできたので
子供ながらに
母を守ろうと
変な所で気づかれした
記憶があります
地域全体が被災したわけですから
チンピラだろうが
ヤクザだろうが
水は、選ばないわけです
避難生活は、そういう
人も紛れてますから
プライバシーは
ありませんし、余計、
精神的に疲れていきます。
ただ
体育館に避難すると
何日かすると
全国から、服が届いたりします。
明らかに、着なくなった
古着が9割で
私の場合、学生で
就職活動しなければならなかったので、
そういった服は
もちろんなくて
正直、苦労しました。
ただ部屋の
普段着みたいなものは
何着か頂けたので
助かりました。
あと、水害にあうと
家というものは
洗って掃除しても
家全体に
後から、後から
見たこともない
大きさと色の
カビがはえてきます
よく考えれば
人間の便や尿も水の中に
流れ出たわけですから
普段見たこともない
カビも生えますし
人によっては、体を
洗っても
皮膚がかゆくなった人も
多かったです
…とにかく住めません。
そこで
体育館に避難していると
今、身をよせる意味でも
大事なわけですが
これから先住むところ
という
不安も相談にのってくれます。
そういう意味でも助かります。
被災して3週間して
でしょうか、
県営住宅など優先的に
入れてくれる話が
市の職員の方から
出始めて、
その1週間後には、
私達家族も
高台の県営住宅を
紹介してもらえました。
県営住宅って
よく抽選で当たらない
とか言いますが
こういう災害時の為に
3分の1は空き家にしてるんだそうです。
税金使ってるから
遊ばせている部屋が
いっぱいあると思うと
良いか悪いか、
どちらとも言えないけど
私たちはそれで助かりました。
だから、体育館に
避難する事は色んな情報がその後
届くので
例えば
水害後、家に
留まれそうでも、
避難する事は
正しいと思います。
お金があっても
地域全体、被害にあうと
店が開いてないので
お金が意味がなくなります
だから
お弁当も配布されるし
食に困らないので良いです。
あと
全国から集まった
義援金ですが
私の場合、千円か3千円ぐらいでした。
しかも2、3ヶ月以上
たって、
忘れた頃に
市から通知が来て、
毛布1枚付きで、お金は
それだけでした。
親子が1から生活を
立て直すには少なくて
期待した
お金では
ありませんでした。
取りに行く往復交通費で
半分以上消えるので
うちの母は、水害で、
遊ぶヒマもなかったし、
久しぶり友達とご飯、そのお金で食べなさい。
と言ってくれました。
全国から集まった義援金は、町の復興にもちろん
使われたわけですが、
あと
持ち家を
水害にあわれた方に、
無利息の家の改築費として、貸されたようです。
一緒に取りに行った友達も被災者で
親から、『これだけじゃ
交通費で消えるよね
しかも
取りに行かないともらえないなんて』
と、
美味しいご飯を食べなさいと
同じく、言われたそうで
久しぶり、二人でマックを食べました。
でも、子供の私が
被災後、親戚の家で
TVを見させて
頂いた時に、
水害時の映像をみて
よく生き残れたという
思いより、
あれだけTVで
騒がれて
天皇陛下まで来たのに
義援金って
なんだろう?
誰が管理して
何に使うか
どう決めてるのと、
不思議でした。
国からの援助も
その程度と言ったら
怒られるでしょうが
…被災者からすれば
正直、お金が何にしても
いるので
…ビックリしたので
あえて書きます。
私はその後、
学校を母に
辞めても良いよ。と
言いましたが、
卒業まで
母は朝から晩まで働いて
くれて行かせてもらえました。
その分、自分も
バイトしました。
とにかく、必死でした。
生活が楽になるには
やはり
3年以上かかりました。
私は、水害時の
親のこれから
どう暮らせば良いのか?
泣いていた姿が今でも
忘れられません。
被災者にとって
大事なのは、一日でも
早く家族だけで住める所。
一日でも早く、生活費が
欲しい事です。
災害から
1から生活を始めようと
する事は
頑張って節約しても
モノが全くない所から
始めるので
恐ろしいほど
余計にお金がかかります
下着も、顔もふく
タオルでさえ
新しく買わないと
ないですから
ですから
私は、国が早く被災者の
手元に
まとまったお金を
渡してあげることを
望みます。
私達の時みたいに、
市役所に取りに行かないともらえない。
交通費だけで
使って終わる馬鹿みたいな方法をとらずに
被災者が取りに
行きやすい方法を取ってほしいです
銀行が被災地にあるなら
銀行受け取りできるとか
市役所の職員が
届けに行くとか、
…正直、子供ながらに
バスで30分
歩くと3時間かかる
市役所に、取りに行かねばお金もらえない
しかも
2千円って
交通費でほとんど消えますが?と
役所のやる事が
3ヶ月まったわりに
これかと
ビックリしましたからね。
早く被災者にまとまった
お金が届く事を祈ります。

