島尾伸三は東京から奄美までの小旅行に出た。「やさしかったおかあさん」に逢(あ)いたくなったという。
おかあさんは『海辺の生と死』などで知られる島尾ミホ、おとうさんは島尾敏雄。父の代表作『死の棘(とげ)』に描かれた両親と妹マヤさんの四人家族の暮ら し。不安定に生きる一家の歳月の破片を、島尾伸三は小さな石を磨くように書いてきた。家族をおおう危うさと陽気さ。むき出しになる互いの傷。
それをこわいくらいの細密画のように描くので、読んでいるとおろおろしたり明るい残酷さに笑いころげたりした。一家が暮らした奄美大島の強烈な光と深い夜の闇に不安の針の音が響く。それなのに、暗い予兆がいつのまにか姿を消しているのはなぜだろう。
この四人家族の父と妹はすでにいない。けれどもふたりは残された者の感傷の囲いにはおさまらないようだ。今も、損なわれた家族のまま息づいている。
「あの四人家族の暮らした街をさまよって、ついでに母について少しは理解してみようと」、各駅停車の旅が始まる。
幼いころに住んだ東京・小岩。敗戦直後の焼け野原だったころ。紙芝居屋さんが来るような下町での母と妹との幸福な瞬間。つぎに暮らした池袋。兄妹を預かっ たのは二十歳のカズちゃんだった。彼女は毎朝、小鳥のようなささやきで兄妹を起こしてくれた。チンドン屋さん、手品師の家族。給食に出されたドーナツパン は妹のために持ち帰ったのだった。
茅ケ崎。神戸。風景のなかにどっとよみがえる記憶のかずかず。父母や妹の言葉やふるまい。熊本のカトリック系 高校の寮で過ごした日々。さまようまなざしをとどめる写真はどこか軽やかだ。走る夜行列車の窓に映る初老の男。自分ではないみたいと思うけれど「醜い自分 に傷つかぬようにという過剰防衛がどこかで働いている」のでしょうなどという。
船に乗
って奄美へ。混沌
(こんとん)とした奄美の歴史
。シマの自然は死ぬ気配すらない。おかあさんが歌った
シマウタが響く。
島尾伸三
はおかあさんが一人で暮らす家に帰っ
たかは、あかしていない。