皆さんこんにちは、まだまだ寒い日が続いてますがいかがお過ごしでしょうか。
私は今年もまた色々な事が立て続きに起きて、かなりナーバスになっておりました。
まだまだ引きずっている部分もありますが何とか生きています。
というのも、先月末に高校の同級である友人が膵臓癌で亡くなってしまいました。
友人と言っても、高校時代に仲が良かった訳でもなく、4年ほど前に街でバッタリ会った事により連絡を取り合う様になっていました。
たまに飯を食いに行ったり、一緒に釣りに行ったりもする仲でした。
性格はブラックジョークが大好きな底辺高校出身のお手本の様な奴です。
友人はバツ2子無しの独身で、両親は既に他界していて、身寄りはお姉さんだけなのですが現在はある罪を犯して服役中らしく、親戚関係なども一切無いという事なので私が身元引き受け人の代理を頼まれていていました。
去年の11月の始め頃、医者から末期癌だという連絡を受けていて、余命3〜5ヶ月という事を聞かされてかなり驚きました。
日頃から体調がおかしい事には気付いていたらしく、いよいよやばくなって入院したらしいです。
まさかこんなに早くなるとは思っていませんでした。
普段、病院での友人はかなり元気な感じで、病院の食事がまずいだのスロットの新台が打ちたいだのといつもと変わらない口調で話してはいましたが、やはり不安さは隠しきれていない感じでした。
先生いわく転移の進行が早いらしく、手術の見立てが難しいとの事でした。
友人は「まあ、なっちまったもんはしゃあない、逝くならサクッと逝きたいな笑。」などといつも言ってました。
色々と他の治療が可能なのかを調べて、それを友人に伝えていましたが、「ありがとな!、でももういいから、それより好きな事をやりたい笑。」と聞く耳は持ちませんでした。
病院の待合室に会いに行けば必ずタバコを吸いに行こうと誘い出すので私は仕方なく付き合ってました。
あげく病院を抜け出してパチンコ屋に行くは、ビールは飲むはラーメンは食うは好き放題やってました。
当たり前ですが毎回こっ酷く叱られていました笑。
そりゃ進行も早まるわな。
と思いつつも、余命宣告を受けた人ならそういう生き方もあるとは思っていました。
友人からいつも電話で部屋の物を全部処分して欲しいと頼まれていましたが、毎回断っていました。
「家に帰るんだろうが!、帰った時に何も無いとか寂しいやろが!。」などと返して、はぐらかしていましたが、心の中ではそれを了承していました。
1月27日午後2時過ぎ頃、病院から着信があり嫌な予感がしました。
[友人の容態が良くないのですぐに来て下さい。]との事だったので急いで向かいました。
防護服の様なものを着せられ、病室に入ると呼吸器を着けた状態で意識はもう無い状態でした。
私の母を看取った時の場面と同じでした。
先生の話では今夜あたりだと思って下さいと言われ、その事を覚悟しました。
友人は苦しそうではありましたが、どことなく笑っている様な感じがしたので、こいつらしく楽しい気持ちで最後を迎えたいんだろな、と思っていました。その時は。
看護師さんから「あの〜、、、わいわさん、ですよ、ね?。」とたどたどしく聞かれたので、そうですが?と答えると、
看護師「あのー、こんな時にあれなんですがぁ、友人さんから、ですねー、わいわさんが来たらですね、必ずこれを私の方から手渡して欲しいと頼まれていました。」
何かが入ったレジ袋にA4の紙が貼ってあり、それには
【わいわへ、色々とありがとうな!(^^)。
マジですまんけど後の事も頼むわ。マジ頼む!すまん。
P.Sこの看護師ちゃんめちゃカワイイやろ?(^^)、口説いたけどダメやったw。
おまえも早よーいい人みつけろよ?w。
てまあ無理かw。
可哀想やからこれやるから元気だせよな!(^^)V。
友人より 】
何だろうと思い、中を見て見ると、、、
エロ本と、ティッシュと、栄養ドリンクのリゲインが3本入っていました。
めっっっっ・・・ちゃ、くっっちゃ、
先生と看護師さん達2〜3人も除き込んでいたのでモロに見られてました。
看護師さんの1人は足早にどっか行きました。
重苦しい空気の中、全員が声に出せない何かを確かに喋っていました。
もう、、何というか、呆れて声に出さずに肩を震わせながら笑うしかありませんでした。
わいわ「先生。こいつ一回、ド突いてもいいっすか?怒(/ _ ; )。
先生「いやー、さすがにそれはやめて下さいよ。それよりお話しがあるので〜」と宥めらながら今後の事を説明されました。
その夜、友人は息を引き取りました。
最後までバカやったが、よく頑張ったな。
お疲れ様。
わいわ