※あらかじめ言っておく。高校生の時に調子に乗って書いた文章だから許せ。
日本史読書研究レポート
※なんの本かメモしていなかったから、覚えていない
○○高等学校 2年7組??番 ティオ
《動機》
どうも私は本選びが下手だ。去年2回も失敗したにもかかわらず、またミスった気がする。どうやら私には3度目の正直は通用しないようだ。どちらかといえば、2度あることは3度ある、の人生なのだろう。
8月に入った頃、私は推薦図書一覧を片手に市立図書館を訪れた。これが毎回のミスである。一覧を見て興味のありそうな本を検索するも、おかしな事に1冊も見つからない。そんなに小さな図書館ではないが、まったく、何てモノのない図書館だろう。仕方がないのでとりあえず日本史の列を漁った。これが危険な道への第一歩である。
今回私は本選びに際し、2つの失敗をした。①見込みのない図書館と知っていて行った。
②一覧にない本を選んでしまった。
従って、この本を選んだ動機は特にない。と言ってしまうとこの本が余りにもかわいそうだ。それに理由が全くといって無いわけではない。理由もなく行動する人間がどこにいようか。だが《動機》といっても大したことではない。背表紙の紹介文に興味を惹かれたのだ。
『歴史はともすれば勝者の記録になりがちである。しかし、敗者や主役の陰にいて真相を知る者の記録が、完全に抹殺されることはない。史料や日記などを手掛かりに、激動の幕末・明治期に暗闘を繰り広げた男たちの人物像に新しいスポットライトをあて、隠れた歴史の真相に迫る。』
魅力的である。さっきまで散々後悔の念を露わにしてきたが、別に本自体を責めているわけではない。私の本選びの乏しい才能を嘆いているのである。重複してしまうが、もう3度目である。そろそろ作戦を変えてもいいと思うのだが。なぜ学校の図書館を利用しようとは思わなかったのか。私はカウンター当番としてたまに図書館に行くが、今となってはもう別の本を読み直そうとは思わない。それは、たとえどんなにつまらなくレポートを書きづらい本であっても一応は読んだのだから、それを利用しないわけにはいかないという、いわばモッタイナイ精神である。いや、レポートを書かずとも読書をしたという財産は残るではないか、という意見もあるだろうが、現在の私にはゆとりがない。あと10日で夏の闘いも終わりだというのに宿題はまだ3分の1も終わっていない。非常にやばいのである。
話を戻す。そもそも私は、年表、出来事、意義のみをテスト前に慌てて暗記するのではなく、人間的な歴史を学びたいといつも思っている。この本の一番最初に『わたしたちが学校で学ぶ歴史は、登場人物の行動や意識については軽く見て、出来事やその結果に重点を置いたもののように思われる。』とある。同感である。いわばこの一文で、私はこの本に決定したようなものだ。その点でもこの本は私に合っている・・・はずである。
《内容》
全三部構成である。
第一部:幕末・明治 陰の主役たち...①
第二部:維新回天・真の主役たち...②
第三部:隠された明治政府の暗闘...③
それぞれ様式が異なる。
①「薩摩の快男子」「郷土に美田を残す」「自由は死せず」などの12のキーワードを挙げ、1つにつき約10ページで詳説している。
②高杉晋作、坂本竜馬、勝海舟、大久保利通の4人を取り上げ“革命の天才”“駆け引きの名人”といったキーワードを挙げて詳説している。
③「西郷暗殺」「策謀家」と題し、2つの小説っぽい物語を記載している。
それでは「策謀家」の内容を紹介する。
元老院幹事の陸奥宗光宅に板垣退助、後藤象二郎、大江卓、岩神昂、林有造の5人が集った。いずれも土佐人である。次のようなことが話し合われた。薩南に兵乱が起これば、薩長閥の結束にヒビが入る。政府は兵乱を鎮圧するしかないが、もしも西郷が挙兵したならば、いくら大久保でも長州の単独では苦心する。そこで土佐派が協力する。しかもそれを条件に長州の後押しをし、薩摩を叩き出す。さらに、木戸は大久保と違い民選議院について理解があるため、妙機が生じ、彼らの長年の夢であった民選議院設立が可能になる。
この段階ではまだ西郷が加わっているかどうかが分からなかったので、とりあえず一同は西下することにした。木戸にあって彼らの考えを伝え、義勇兵を集めて西郷を討つ方針である。
ところが大江と林はこっそりと別の計画を実行するのである。それは次のようなことだった。義勇兵を集めるなら、何も西郷を討つことはない。その兵で大久保らを始末し、大阪鎮台を占領してしまえば政府は崩壊する。そこで新政体をつくってしまうのだ。
長ったらしく物語は進む。結局、人・武器集めが上手くいかず、計画は失敗、彼らは処罰される。ちなみに、大久保は島田一郎らに暗殺された。
最後に、物語なので登場人物を挙げる。多すぎると思ったのは私だけだろうか。
陸奥宗光 板垣退助 後藤象二郎 大江卓
岩神昂 林有造 亮子 大久保
岩倉 西郷 桐野利秋 篠原
江藤新平 木戸 酒井三治 坂本龍馬
岡本健三郎 山東直砥 柳原前光 三条
伊藤博文 中村貫一 片岡健吉 谷重喜
武市瑞山 島村左伝次 大石弥太郎 ローザ
中島信行 初穂 川村矯一郎 小野義真
前原一誠 大隈 増田栄太郎 徳川茂承
三浦安 北村重頼 藤好静 村松政克
竹内網 玉乃世履 島田一郎 島惟精
山県 河野敏鎌 井上
(登場順・敬称略)
《感想》
最初の一文につられて順調に読み出した。ところが読んでいくにつれよく分からなくなり、途中で飽きた。残念ながら今回も楽しく読むことができなかった。そういうわけで本選びをミスったと痛感したのである。やはりこれは私にとって一番重要な段階なのだ。次回こそ、楽しく読書したい。
今回の本に飽きてしまった理由は2つある。 まず、1つ1つの話がそれぞれ単品に見え、つながりが感じられなかったことである。これにより、時代の流れが把握できなかった。本で扱われている時代は歴史の流れから見ればごく短期間の出来事である。一定の時と捉えがちであるが、それでも順番がある。しかも幕末・明治は短期間で色々なことがあったため、その順番が分からなくなるのだ。
この問題と共に、私にとってかなり苦だったのは漢字である。読めない漢字が立て続けに出てくると頭にくる。単に私が神経質なだけである。だが、歴史に出てくる人名・用語は読み方が独特なので、当然知らなければ読めない。私としては、教科書や歴史の書物には、常識と思われる読み方でも歴史用語には全てに振り仮名を振ってほしい思いである。
この2つの問題には悩まされた。この調子でレポートが書けるのか不安だった。動機と感想は全て私の世界を文字として表していけばよいが、内容はそうもいかない。よく分からないまま書いてしまうと、事実でないものになってしまうおそれがある。完璧主義の私としては何とかそれは避けたかった。(それでも間違っていたらすみません。)
一通り目を通した後、内容には最後の小説を詳説することにした(シャレではない)。小説はストーリーであり、順番に進んでいく。しかもそこに登場するのは人間であり、私が一番理解しやすい形式だ。
淡々と提示された情報は目の前を通り過ぎていくだけで私の頭には残らない。一連の流れの中で登場する因子は、流れと共になんの障害もなく私の頭の中に入っていく。しかもそれが私の人生にとって深く関わり、未来に確実に繋がるものであれば末永く残る。そうでなくても印象的なことはテスト前に必死に頭に詰め込もうとしなくても自然と頭のどこかに残るものである。
人生においての学習とは木に喩えて表現することができると思う。全ては1つの種子から始まる。温度・水分などの条件がそろうことで種子は発芽する。この際、有胚乳種子は胚乳の、無胚乳種子は子葉の、いずれも種子内部に貯えられた栄養分を使用し成長する。ところが葉が開いて光合成ができるようになると、自ら有機物を合成して成長するのである。いわば自立である。(ヒト・人間の場合、自立するまでの期間が他の生物に比べるとやたら長い気がするが、それについての私の意見を書くと恐ろしく長くなるので今回はやめておく。)やがて青年の木は根を深くし、茎を太く長く伸ばしていく。幹は徐々に太くなり、一方、根や枝はあらゆる方向に細かく伸びていく。こうして木は成長を続けるのである。 この一連の流れの中には、2つのつながりがある。1つは、一本の木の中でのつながり。もう1つは、木の成長を通してのつながりである。
木の中でのつながりとは、根っこの先っぽと枝の先っぽも繋がっているということだ。木が存在するためには全ての部分が必要である。細っこい枝がなければ葉が存在することはなく、葉がなければ光合成が行えないため木は成長することができない。地中を活動の場として我々からは見ることのできない根っこはなおさら大切である。
一方、木の成長を通してのつながりとは、紛れもなく、種子→発芽→子葉→成長→青年の木→成長→大木・・・という成長の過程のことだ。どの段階が欠けても今私が話題にしている木は存在し得ない。さらにこのつながりは世代を超える。全ては1つの種子から始まる、とはいったものの、もちろん親の木が存在したために種子が存在するのだ。親にはさらに親があり、ずっと昔の祖先と繋がっている。それだけではない。今私が話題にしている木もやがて種子をつくる。こうして子孫にも繋がっているのだ。
そう、過去・現在・未来は繋がっているのだ。まさに因果応報である。
人生における学習を木の成長に喩えるつもりが、因果応報にまで発展してしまった。何が言いたかったかというと、次の通り。木は全て繋がっている。人生における学習とは、木の根が枝が伸びていくのと同じように全て繋がっているのである。そこに無駄など1つもない。全て自身をつくり上げる因子なのだ。
人間は成長を停止させると実質上、死を迎える。自身を成長させたいのであれば、年を重ねようとも勉学を怠ってはいけない。故に、一生勉強なのである。
そろそろ話を戻さなければ、いい加減怒られてしまう。過去・現在・未来という言葉が出てきたので、歴史について考えてみる。
歴史を学ぶということはどういう事だろうか。・・・これだけレポートのテーマから大きく離れたことを5ページも書いてきたのに、今までのように私らしい言葉で言い表すことができない。授業やニュースなどで歴史に関わっているときにいつも考えていることだが、未だによく分からない。
そもそも歴史はなんのために学ぶのだろうか。答えに困ったときは『青春対話』を読むのである。1学期の最初辺りの授業でもクラスで読み合わせた箇所を手元にあった青春対話を開いてもう一度読んでみた。歴史を学ぶ意味は?との質問に創立者は『ひとつは、物事を大きく見られるようになるということです。』と答えられている。また、次のように言われている。『自分はどこから来たのか、どこにいるのか、どこへ行くのか。/歴史は現在の自分の「ルーツ」-根っこでもある。歴史を深く学んだ人は、自分の根っこを認識し、自覚できる。「歴史を知る」ことは、結局、汝自身を知る-「自分自身を知る」ことに通じるのです。』
私は将来、世界を舞台に活躍したい。そのため広い視野は必要である。そして何より、自分自身を知りたい。すなわち、私にとって歴史を学ぶこと、知ることは不可欠だということだ。何とも幸運なことに、私は今歴史を学ぶ絶好の機会と環境を与えられている。これを無駄にするのは余りにもモッタイナイ。だが「歴史はともすれば勝者の記録になりがちである。」私は真の歴史を学びたい。ではどうすればいいのか。真実を見極める眼を磨くことである。そのための近道はない。自分自身で探求し、学び掴んでいくいくしかないのだ。学問に王道はないのである。
◎非常に長くまた一貫性のない文章で申し訳ありませんm(_ _)m 最後まで読んでいただきありがとうございました!(^o^)!
※もう一度言う。高校生の時に書いた文章だから許せ。今読み返すと、ひどい文章だな。