今回は「コントロール」ということをキーワードに書きます。結構良い記事が書けたなと思っています。笑

 

Q:子育ての問題とその対策とは。

Q:空気が読めることは、なぜ学校や社会で重要視されているのか。

Q:コントロール感と幸福との関係とは。

Q:みんなが幸福になるためには。

 

きっかけはあるTEDの動画です。

 

Haimsさんは冒頭に「子育ての専門家になるなんて思ってもみなかった。子育てそのものにさほど興味がない」といっています(これ重要)。

今教育の問題として、子育てに全く関わらない親(ネグレクト)と関わり過ぎる親(過干渉)の両極端になっていることを危惧しています。

確かに、関わり過ぎることに関しては全く関わらないことと比べて問題化しにくく、そもそも問題だと思っていない人もいますよね。

関わり過ぎる親というのは、子どもの活動をチェックリスト化し、それを完璧にこなすことを求めます。それを妨げるもの(教師やコーチなど)には文句を言います。

そして、子どもの活動はやることすべて有益じゃなくてはいけないと思っています。

その結果、大学に入るときにはそんな子は息切れや燃え尽きていたり、(親の思い通りにならないと)自分の人生の価値がないと思ってしまって、鬱や自殺ということに発展していきます。別の言い方をすると、子どもの成功の定義を親が狭めているとも言っています。

その対策として「愛」と「家事」だとしています。

過干渉されている子は家事は良い大学、良い会社につながらないためやりません。ただ、ハーバード大学の研究によると人生における職業的な成功の源は家事であるそうです。家事によって、困っている人を手伝うというマインドセットが生まれ、全体の向上のために何が必要かを考えられるようになります。

愛とは、例えば学校から帰ってきたときに、スマホを置いて数時間ぶりに我が子に会った喜びが私たちの顔に表れていることを見せる。また、成績の話をしてほしいのにランチについて話しているときもランチについて興味を示さなきゃいけない。つまり、「子どもを親にとって大切なのは人間としてであって、成績評価は関係ないと子どもにわからせる」ことです。

 

また、DaiGoさんの動画にこんな動画があります。

 

この記事の中ではEQという心の知能指数を取り上げており、年収とEQの高さには相関があるといっている。

ただし、EQが高い人とは自分の感情をコントロールして、他人の感情を理解することであり、感情の扱いがうまい人のことをいうのであって、

日本だとなぜか「EQが高い人」=「空気が読める人」としていることが多いが、それは完全なる誤り。空気を読んで自分の感情を殺して相手の感情を優先するのはEQが低い人の特徴。

よく言われる(EQが高くない)空気が読める人が成功するは嘘だと断言しています。でも、空気が読める人が成功するってことがいわれているのはなぜか。それはコントロールしやすいから。

学校とかで空気の読める子とかおとなしい子とか先生の言うことを聞く子は偉い偉いといわれるのはなぜか。コントロールしやすいから。

さらに教育環境とかがなかなか良くならないし、ベンチャーで起業とかいいつつ法整備が進まないのは、国は皆さんに夢なんて追ってほしくなくて、コントロールしやすい人間じゃないと国って潰れちゃうから。

教育でも皆さんが従順な人間になるようにもっていきます。それはねらいはあるし、ねらってないとこもあると思う。と言っています。

 

 

つまり、子どもの取り巻く学校や家庭での環境では、どんどん子どもはコントロールされていき、誰かにコントロールされる人生になっていきます。

 

 

コントロールということについて、別の視点からも話します。実はコントロール感というものは人生を幸せにするために大切な要素だそうです。

例えばこのパレオさんの記事では、

休暇中に「俺は自分で自分の計画をコントロールできている!」って感覚が強い人は幸福度が高かったという研究結果が出ているそうです。

DaiGoさんも同じような動画を挙げています。

 

ニコニコチャンネルの完全版

前編

後編

 

 

以上のことから

親や教師が子どもをコントロールしているとき、コントロール感が高まって親や教師は幸せなんです。そして、子どもたちはコントロールされているから不幸せなんです。

例えば虐待は自分のコントロール感を高めるための、つまり自分が幸せになるための一つの方法なのかもしれません。(虐待を正当化しているわけではありません)

また、教師の体罰や教師や生徒によるいじめも、加害者や周囲の人間がコントロール感を高めるために生じているのではないかと思います。

虐待や体罰やいじめがなぜ無くならないか、それは被害者以外の深層心理に幸福の高まりがあることに一つの原因があるのではないかと思います。

 

 

逆に、子どもが本人の世界で生きていくと、子どもたちは自分の世界をコントロールできていくので幸せになっていきます。

そのとき親や教師や友人は不幸せなんでしょうか。

私は、親や教師が子どもが自分で幸せになっていくことに対して幸せだと感じること、これが愛だと思います。また、ある子がその友人が友人自身の価値観で幸せになっていくことを幸せだと感じることを友情や信頼だと思います。

こっちの幸せを求めることは、本能に従っていたら難しいのでしょう(社会情勢が示しています)。

ただ、理性のある人間として自分だけでなく関わっているみんなが幸せになっていくことを追い求めていきたいですね。

 

だから「人にやさしく、自分に厳しく」という言葉は

「人をコントロールするな、自分をコントロールしろ」ということなんではないでしょうか。他者をコントロールすることを手放して、多様性を求めていくこと。

また、「他者をコントロールするな。そして他者にコントロールされるな」ということをみんなが考えていくことが良い社会になるのではないでしょうか。

 

 

今後の課題:コントロールを排除しつつ、子どもを支援するには。

 

 

編集後記:最近なぜか「コントロール感」という言葉がいろいろなところから入ってきました。自分でも「あっコントロールしてしまったな」とか「あの人コントロールしようとしているな」とかと感じることが多々あります。そのときにコントロールすること=幸せということでみてみると納得する部分が多かったです。

私は教育に関わっていますが、小中のときの先生は誰も好きではありませんでした。コントロールしようとしてくるからです。まあ従順にしていましたが笑。

逆に私の両親は全くコントロールしてきませんでした。本当にそこは良かったなと思います。「私がコントロールせずに本人が本人をコントロールすることをサポートする」そんな教育が私の理想なのかもしれません。

ちなみに新しい目標として「1つの記事に対していいねを10個もらう」ことを目標としているので、もし何かの行動を生むきっかけとなったら押してください。お願いします。

 

備考:

引用などには出てきませんでしたが、この考え方に至る大きなおおもとは、嫌われる勇気と幸せになる勇気によるアドラー心理学だと思いますので参考までに。