私がブログを始めようとしたきっかけの一つである植松努さんの文章を紹介します。
植松努さんについては、過去のアーカイブスを参考にしてください。
過去のアーカイブス
”「だますな」か、「だまされるな」か。”【サイト紹介】植松努のブログ
興味をもった文章を一部載せますと、(下線は私の言葉です)
そもそも、文章を読解するというのは、
その文章の正誤をジャッジする能力ではないです。
重要なのは、文章に限らず、どんなことでも、自分で認識したものを、
自分の思考や人生に活かしていくことだと思います。
しかし、文章の全体の意味を考えずに、
文章のごく一部にだけ反応する人達は、少なくありません。
その反応も、「正しいか、間違ってるか」「成り立つか、成り立たないか」という
極端な反応が多く見受けられます。(二元論は楽だけど、ちょっと多すぎますよね。)
そうなってしまう原因は、おそらく、
「この文章を読んで、作者がどう思ったのかを下記から選びなさい。」
「この文章は何を伝えようとしているのか、下記から選びなさい。」
という問題にあるような気がします。
私も国語という教科を受けていたり教えていたりしたときに、どうもすっきりとしないという経験がありました。成績も中の下でした。
自分が子どもの頃は「作者の考えを下から選ぶよりも、その文章から自分が何を考えどう反応するのかが大切なのではないか。」と思っていました。そして解釈の分かれるような面白い文章(何度も読むとその都度印象が変わる文章)という教師や出題者が把握できない文章ってのは出てこないんですよね。そしてメディアなどでも立場が定まらないものってあまり報道されない気がします。
国語が苦手だった影響で小説なんか読まなかった私が、妻の影響で小説を読み始めると、国語科に出てくる文章というのは文学の切り取られた世界なんだなあと思いました。
ただ、代案無き批判は教育者として良くないので、文章を書いていくことでちょっとでも言葉の理解が深まればと思い、ブログを書いています。植松さんも以下のように言ってますし。
作文は苦手・・・とか言ってないで、書いてみたら?
今回もお読みいただきありがとうございました。何かのきっかけになれば幸いです。