清志郎は個人情報を公開する人だよね~Nothing Can Change This Love 2 | 花月☆そうし

花月☆そうし

↑トップページへ

 国立駅近くの坂の途中から見える三日月。

 国立駅の東側は台地になってて、駅からだと坂を登ることになる。古多摩川が武蔵野台地を削り取った河岸段丘でこの斜面地を国分寺崖線と呼ぶのだそうです。中央線の南側にたまらん坂、こちらは「坂を登りきる手前に住んでる」。中央線の北側、坂を登り切ったところに南北に通っている道があり、道に面して清志郎の実家。こうなってる。坂の途中で立ち止まって振り返ると、西側は土地が低いわけだから空がよく見える。この日は昼間は古刹めぐりなぞをして、暗くなりかけた時間に国分寺崖線に着き月を見るように計画したのよ。

 夕方からの仕事の人だと帰る時間はもっと遅かろうから、月はもう少しふくらんでて上弦の月だったのだと思うが、その時間に国立にいると帰宅するのに家近くのバスがなくなりそうなので、三日月の日にした。

 

 ひとつ。 さて、これからお墓のことなど書いてくうえで、清志郎って個人情報を公開する人だから、こういうお墓に、なるはずじゃないかしらとかそういうことを。その前に、どんな情報を公開してるかの一例。

 

  この人、自分ちの前の道路でKINGのアルバムジャケットの写真撮ってるよね。

 

 今は聖地化してる実家や売れていない時代の借家の場所なんかは、おそらく昔から知られていたのだろうけれど。80年から87年はどうだったんだろう? ファンの熱さと清志さんの隠さなさ加減からいって、マニアックなファンの間では住所、知られていたんだろうか? 家族構成(つまり、ひとり~事実婚状況)も? その後、世帯を持って家族と住んでいた場所を、実際に住んでいるときに人に分かるようにしてる? 5パーセントぐらい違う可能性もあるかもだけど、たぶん)。

 

 (そういえば。1970年、75年、80年、85年、90年、95年、2000年、2005年ごろ、それぞれどうだったのでしたっけ? ある時期は、有名人の住所はみんなが知ってるものだった? 著作の奥付けに著者の住所が書いてあったし、著名人ほど情報が公開されてた時期があった? 掲載される名簿があり、高校生がお兄さんやお姉さんに、日比谷図書館か国会図書館かそういうところに行けば閲覧できるなんて教わるとか。アイドルとして事務所が売り出している人以外は電話帳に載せてて、「〇〇の本名わかった! 前に〇〇に住んでるって言ってたよね」って友達と話しハローページ見るの、熱心なファンはみんなしてた? 事務所がファンが知ってること前提で逆にファンクラブに警備をお願いしてるみたいなことすらあったかも?? たまーに全く住所を公開しないこともありそのほうが珍しく、奇人、鬼才みたいな評価の人にそういう人がいたとかもあった? (アイドルで危険に遭う可能性がある若い人でもなければ)だんだん秘密にされる時代になったことを偉い人が悪いことしても守られることにもなり嫌だと感じたのが2000年代とかありそう? 家庭内で方針が一致せずにいたことへの怒りとか、入ってるかなあ。家庭内での方針の不一致があったことで、公式サイト側からのきちんとした伝記が出ないことに繋がる、ということもある?)

 

 住まいの最寄り駅はファンの方、皆さんがご存じの通り、代々木上原。わりと詳しく書いてあったのが、自転車屋さんのブログで、書いてあることは。

 事務所のごく近くに家も仕事場もあること。仕事場はマンションの一室を演奏や録音に適するように改装したものであること。明け方エレベーターに乗って家に帰ること。つまり、ビル仕立ての一軒家で下層階は賃貸ししてたのを仕事場に変えたか、ひとつのマンション内に2室購入し、自宅と仕事場にあてている(隣といっていいほどの近さの別のマンションかもしれないけれど)ということ? 地図見ると、大きな住宅とマンションしかなさそうな所だから後者?

 事務所(ファンクラブの事務所なので住所は公開している)は代々木上原駅からは離れてて次の駅が最寄り駅かな、という場所なので、事務所から代々木上原駅の間を直線的にグーグルマップでたどる。すると、5分ぐらいでKINGのジャケット写真と同じ場所が見つかるわよ。

 ジャケット写真の場所はマンションの正面ではなく横の空きスペースの前で、木が写真より成長してるわ。KINGの歌詞カードは仕事場の内部の写真だから、ジャケット写真の建物が仕事場があるマンションということよね。たぶん。家も同じ建物内よね……となるのよ。それなりに立派な感じの建築で、終の棲家としては味気ないかもしれない(若い芸能人が身を固める前に住む等に向いてそうな)、そこが散財しない(場所とか、おそらく広さともあり高額ではあるんだろうが。お金入ると使ってたといっても堅実な家庭で育ってて、高額な楽器とスポーツカー買っても、慣れないのに投資の誘いに乗っちゃうとかじゃなく仕事と趣味にだけ目が行ってる人ってそんなに使わない)人って感じもする。

 

 自転車屋さんのブログには、女優さんたちとコンサートの録画を見て、明け方家に上がっていくと書いてあった。清志さん、幸せだった? 彼もぜったい一人と婚姻関係にある限り、浮気、不倫、本気で他の女性好きになる等あり得ないから、仕事場を家の遠くにしないし。きっと女優さんたちも、男女関係にならずに済んで、でも女友達ではない男性といっしょにすごせるからいいのよねーって感じで(恋愛関係になったら魅力がなくなる人でもあるのよね。楽曲提供と俳優タレント業の割合が高くならずあくまで自分で歌ってライブメインの人だし。もしテレビ的成功をおさめる系の女性と恋愛たら、玄人評価が高い人からしょせん普通の男かあ、に評価が落ちちゃう。だから女優さんたちとしては「付き合いた」くはないでしょう)。本気で他の女性好きにならないためには、創作者としてより表現者として優れてるキャリアウーマンと友達になるように気を付けたりもしてたかも。幸せだった?

 表現者として、というのは。演じるほうのプロだと、録画見て、発声のしかたとか舞台上での効果的な動き方とかのほうに集中しちゃうと思うの。詞の内容の暗黒面のほうに集中してしまう人だと、妻と話せてない話までしてしまうかもしれない。「〈鳥の歌はラブラブ〉他多数⋯⋯みたいな詞が出てくるのおかしくない? 詞が書けなくなってるよね、あなた」といっつた話。そしたら、たとえ男女としてお互いに惹かれ合うことはない友達だったとしても、異性と私的空間で深夜いっしょにいるのは妻への裏切りみたいな気がしちゃうだろうから、そうならないで済む女性と過ごしてたのかなあって。一見華やかそうに見えて、誰とも心の中のことを話さず「時間だけが過ぎて」いったかな?

 

 この人は、自分のことは公開する人だけど、家族との住まいは公開しない可能性もあったと思う。CDに君の名も載せるのなら公開するよ、君が自分の情報知られるのは嫌だけど存在は示したい人(このへんは「家庭人キャラクター」という記事で前に書いてる)なら公開するよ、とか、不安定なバランスの上にいたかな?

 お墓も、栗原家の墓は嫌、宗教も嫌(宗教なんて坊主丸儲けだよとか言って嫌う。べつに正義感なわけではない。というタイプかも?って思って)。いろいろあり夫の実家の墓とは別に作りたくなるのまではよくあることだけど、公開して感謝されたい、そこに自分からは望まず(一人ではなく親子で墓所の案内を出してるから)でも自分も入る。自分がいっしょに賞賛されるというこっぱずかしいことは避けたい!ではなく。

 でもって、人が来ちゃうとお線香で石が早くよごれるから(そんなとこだろう。理由は)どうしよう。公開しなくていい、いや自分の入る予定があるなら公開するなー、なんだけどそれはいやだから、そうだ!禁止しちゃえばいいじゃん、で問題解決。未成年の学校内での喫煙の歌の印税で建てたけど、煙、禁止するもんね。なのね。

 例えば〈Baby何もかも〉という歌は、〈あのこの悪いうわさ〉みたいな世界を作りたかったのだろう。世間より、世間で悪く言われる君のほうを僕は信じるという歌。あくまで女性は妻ひとりって人なのだから妻をモデルにすると、妻は世間のほうにいる人、煙、禁止ちゃえという人なので、詞がなんだか書けなくなっちゃって、完成度が低いまま発表してしまう。

 悪いことする人について書く創作活動してる人――怪盗が出てくる小説やマンガとか、清志郎の場合なら決まり守らない悪い子が出てくる歌とか――って、何がしていいことで何がしてはいけないことかに、とても敏感な人。じゃないと素敵な悪人書けないから。まじめな一般世間に属する人達のほうがかえってまちがった方向に行っちゃってるなあ、なんてことにも敏感。こういうことに敏感な人であるという生き方が、結婚生活を継続してる限り、家庭運営してるのは一般世間そのものってタイプの人なのだから、できなくなってしまったのね。清志さんは、女性の好みは普通の人で、好きでいっしょにいるんだからしかたないというか。

 人口の多さからいったらここで書いた石井さん型の人は多い。人の心をうつ創作は世間とずれちゃうタイプの人がするものだけど。人が集まるのは創作をした人で、その痕跡を石井さん型の人が運営すると、多くの人が喜ぶ。変なんだけど、変と思わずに喜んでくれる。

 いちばん大きな問題は創作活動自体ができなくなってしまってたこと。日々はけっこう円満な家庭のなかで過ぎてって、昔作ったできのいい曲と、ソロ後の詞はできてないんだけど、できてなくてもそれなりの盛り上がりをつくれる演奏力で、ごまかせてはいる。

 

 ひとつ。

 これは1983年に出た詩集の初版。めずらしく帯もとってあった。この本を読書会でとりあげてもらえることになったので、40年ぶりに開いたら、帯をたたんで挟んで保存してたの、自分。帯を細めにして、背の著者名の下に帯ってし、帯の方にRCサクセションと入れてる。

 

 キャッチコピーは「待望の第一詩集」。第一詩集。必ずしも第二を出す計画があったわけではないだろうけれど、第二以降が出ないわけはない!という気持ちがこもってるわよね。初期作品と84年以降で第二詩集となるところだったのに。87年末には壊れてしまったから。

 

 ひとつ。少し前に記事にしたNothing Can Change This Love。チャボさんのライブDJでオーティス・レディングの歌うこの歌がかかりました。聞きに行ったのは7月なのだけど、9月までライブDJがあり、毎回同じ内容なのか違うのかわからないけれど、同じだったら9月の回が終わるまで言ってはいけないのかしらと思い、本日報告。