清志郎を聞く(8)好きな曲2〈海辺のワインディングロード〉3〈窓の外は雪〉 | 花月☆そうし

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冬じゅう咲いていたうちのローズマリー。「海のしずく」「私はあなたを蘇らせる」。

 

 アルバムベストの次は好きな曲ベスト3。私のアルバムベスト『HEART ACE』に入っているので、(7)の続きとして2位から。2位は〈海辺のワインディングロード〉です。これは説明いらない。かっこいい曲。好きになったからもう今までと同じようには見れない。見れないともうひとつ見えないという詞も入ってて。見えないのほうはかつての人のことが頭から消えたともとれる気がする。

 でもって私の3位は〈窓の外は雪〉。好きな曲3曲なら、一曲は中期のラブソングから選んでそれは〈海辺のワインディングロード〉、一曲はもっと古い曲。〈君が僕を知ってる〉〈わかってもらえるさ〉あたり、ありすぎて10曲ぐらい選んじゃってもいいですか?という感じよね。窓シリーズ、と心のなかで呼んでる〈夜の散歩をしないかね〉〈汚れた顔でこんにちわ〉も、みんな好きだけど、ひとつ挙げるなら〈窓の外は雪〉。この曲も説明いらない。

 

 ありすぎて10曲ぐらい選んじゃってもいいですかという密度だったからこそ、昨年また清志郎聞こうとなったとき、この密度で曲があるはずだからアルバム全聞きしなきゃと思ったわけで、そしたら作品になってないのでは?発表していいの?っていう膨大な心の病気日記に出会っちゃって。で、89年以降のアルバム買う前に、『MARVY』あたりを聞き直したの。歌の神って=ラブソングの神で、清志郎、20年間神が降りっぱなしで空に戻らないんですけど状態だった。〈CALL ME〉〈夢中にさせて〉みたいな曲が、すっとできてたのじゃないかな。このころの曲だと〈EJAN〉〈ヴァカンス〉なども。これ、とても大切なことなんじゃないかしら。

 『RAZOR SHARP』は今回聞き直してみると、すっごく幸せそうなの。1987年にはRCほど繰り返し聞かなかったんだけど。シングルの〈ちょっと待ってくれ〉みたいなラブソング的でないものでも、なぜか幸せそうなんだよね。ライブアルバムのほうのジャケットで市松模様の浴衣着てたの、他の清志郎の和服って着物の形してればいいや旅館の浴衣でもなんでも同じじゃん感があるのだけど、これはちゃんと探してきたものだなあって思う。探してきて撮影のために仕立てた。着物よく着る人からみていい柄で、奇抜じゃないのにありそうで無くて、痩せてる男性に男用(じゃないのかも)としては派手目な大きめ柄の浴衣って合う。

 

(大幅に話題逸れるのだけど、『RAZOR SHARP』のライブ見て、RCってりんこさん、新井田さんという地味な人のファッションセンスがよかったんだって気づいたりしてた。大学入ったばかりのころ、高三のときよくつるんでいた友達が、すげーもの見せるからうちの大学においでと誘ってくれて見に行ったの。農工大ってとこで、京王線→バス→大学→中央線の駅に出るというルートで。この時の駅、立川だったのか国立か国分寺だったのか覚えてないのだけど、初めてのこの辺りで、お茶の水にあったアッサムという喫茶店の支店があるからって帰りにお茶した。大学では牛舎に連れてかれて、すごいものは牛だったの。その子は都会生まれだから牛が大学にいるというのが自慢なわけ、でも私はクラスに酪農農家の子がいる小学校だったし、電話帳の獣医師欄には家畜診療所が載ってて近所にいっぱい牛が住んでて毎日見てたのよ。そこから都心の高校に通ってたというね、中高の友だちにまさか牛見慣れてる人がいるなんて想像出来ないものね。で、牛には驚かなかったんだけど、いちばん驚いたのは、校内歩いてる理系男子の服がダサいってこと。私の大学は、清志郎やtimersみたいな服の男子がよくいるってか、最高学府ってとこでどこに行ったらあの格好の男子がいるのよったらうちだわってとこなんだけど、変わった格好の人もいるけど多くは地味なごく普通の服着てる人たちだと思ってたら、その地味な人たちはかなりお洒落だったのよ。全く服に構わない人ってもっとダサいのよ。それといっしょな感じ、りんこさんたちって。RCって元の顔は5人とも実はかっこいい、ルックスじゃなく音で集まった人たちでプロモーションとか嫌いです嫌いですオーラ出しまくってる人たちなのに顔いいとは(でも私は暗いオーラ出しまくってるその内面と出てくる音が純粋に好きなのとも、いやあんたは顔で決める女だよと自分に言う)思ってたけど、着てるものもよかったんだって、ブロックヘッズの人たち(ごめん)見て気づいたの。ところで三宅伸治さんて農工大なのね。大学内ですごくカッコよかったろうな)

 

 で、降りてこなくなったんだと思った。

 降りてこなくなったときどうするか。そのときカバー曲、曲に既に神が住んでるところに日本語詞を乗せるのだと作れたのかも。で、売れたんだよね。〈デイドリームビリーバー〉とかも、これもちゃんと聞くとよい精神状態の歌詞じゃなくて部分的にCMソングとして聞くのと全然違い血が凍ったけど、これは後日書く(主に育てのお母様に夢を叶えることができる環境で育ててくれてありがとうって言ってると思うけど、〈ライクアドリーム〉と合わせて聞くと、同じように朝夕微笑んでくれる人はいなくて、僕の選んだかわいい人はそこまで子供が伸びやすい家庭をつくってくれられないだろうなあ、となってると思うの)。本日は『COVERS』だ。カバー曲で社会派ソングするというのはいいことだと1988年も思ったの。オリジナルの歌詞は厳然とあってこれは変わらない。RCの歌詞も途中紆余曲折あっても定着したら変わらない。替え歌だと変えてけるって思ったの。原子力発電所の数とか、減ったら歌詞のなかで数減らしてって、なくてもやってけるときが来た日に0で歌ってお祝いするとかできる。

 歌詞変わらない歌のほうは、原発でも戦争でも無くなったときに歌える仕組みになってないといけないと思うの。じゃなけりゃ問題があったほうが仕事がある、つまり戦争ないと困る人になっちゃう。そういう人って創作活動する人としては最もよくて二流だよね。RCは天才の領域だから、それじゃいけない。問題に反対しながら問題が解決したあとの社会を描くとかにしとけりゃいいのじゃないかしら。そうなってるって思った歌を私のベスト1にしたの。また話がそれちゃった。

 『COVERS』、社会派ソングを替え歌で演ったのはいいんだわ。もうひとつ、神が降りなくなった時の解決法としての『COVERS』だったと思った件。聞き直すと寂しそう。1983年の〈Oh! Baby〉と1997年の〈浮いてる〉に「重くのしかかる」という詞があるの、「重く」は付いてないけど「のしかかる」という詞は『COVERS』内〈イマジン〉のひとつ前に〈悪い星の下に〉にあるのね。女性の容姿を悪く言ってるけど、〈うるせー〉とか、たまに女の子悪く言う詞を書く男の子だから、1988年には気にしないで聞いてたんだわ、私。これがこれから赤ちゃんがやってくる時のお父さんの気持ちなのね。清志郎自身から上に書いた『RAZOR SHARP』あたりの細やかに面倒みてもらってる感がなくなって、小汚くなってくんじゃないでしょうか。このあと。

 そして〈イマジン〉が最後の曲。私、元の曲についても国境欲しいわい海(ライフワークは増鏡な人だから、元寇あったのよ。千葉生まれだし国ざかいに水がないと落ちつかないじゃない?)あってよかったって思っちゃうんだけど、カバー版は、そう、「夢かもしれない」と「ひとりじゃない」という詞に被さるように〈窓の外は雪〉の詞が入るのよね。やっと今回のテーマに帰ってきました。1988年は、あ〈窓の外は雪〉入ってると思っただけだった。音楽的になんか合うってだけ?とも思う。あんまり意味がない気もするのよ。〈夢を見た〉では今日も明日もいつでも会える彼女が夢に出てきてた感じ。ソロ後、清志郎は実際に会えない人を夢に見てる感じになる。1997年のアルバムを聞いて1988年に戻ると、〈悪い星の下に〉〈イマジン〉がセットで、〈窓の外は雪〉が生まれたときのそのときの気持ちには夢のなかでしかなれないの?そんなことないはずないはず、ひとりじゃないんだからあのときと同じ幸福感がやってくるはずだよー、〈悪い星の下に〉に書いたみたいな気分もおそってくるけど僕は今幸せなはず、みたいな(そのことで頭いっぱいで反戦とか考えてねーなこりゃ)。

 『COVERS』に関しては、YouTubeでライブ見ると、このなかの曲(イマジンはまたちょっと別なのでそれ以外の)をずっと歌い続けてるのね。発売されたときは茨城で事故あったり山岸涼子先生のマンガとか割と多かったときかな、歌い易かったろうけど、その後世の中がむしろ悪くなって歌いにくくなってたと思う。ばか正直に歌い続けるとこが偉いとこだわ。もともとは誰より最初に気付く人でありかつ個別ニュースを最後に知る人だろうから、こういうの作ろうと思ったきっかけは、私はあくまで歌の神が降りてくれないことの焦りだと思ってるけど、生み出したものをずっと愛したのが偉いわ。それと、そういう清志郎につきあって、いっしょに演奏してくださった人たちがすごいわ。

 そして、『MARVY』の〈涙あふれて〉とその次の曲〈ありふれた出来事PART2〉。〈涙あふれて〉を泣かないようにするじゃなく、泣けなくなった、感受性がなくなっちゃったみたいにとって、このときから歌の神が降りなくなっちゃったのかなあなんて。この曲の行ったり来たり感、すっきり「簡単なこと」って〈イマジン〉で歌うようになんかならない感がその後の曲群に近い感じ。〈ありふれた出来事PART2〉の「僕に始まる違う毎日」。失った人の夢。ラブソング、失ったものの歌と並べる。〈GRORY DAY〉では失ったものはもう輝いてないんだけど、失ったものがいいものだったんじゃないかという歌。今の心境だから昔の歌をここに入れた?って思った。PART2は出会ったころが一度目として二度目の妻と生きてく決心とか???まあ考えすぎ? そういえばこの人、結局いつ結婚したんだろ? wikiの経歴だとはっきり書いてないの。え?公表してないわけ?って思った。〈僕の好きな先生〉に出てくる高校の恩師が結婚すべきじゃないとか言ったとか書いてあるけど、そのときの背景事情とか前後の言葉が抜けてるだろうから意味ないと思うし(渋谷陽一じゃあるまいし、尊敬される先生なら性行為有りの恋愛だけして結婚せんでいいとは言わない、結婚するな、なら恋愛もするな、恋愛したら早く結婚しろになると思う。こういう矛盾があるときはたいてい、なんかへんなのよね)。なんかすっきり結婚の喜びの歌ってのが40年のキャリア通して無い(あと、私お子さんが生まれたのもっとあとだと思ってたの、昨年まで。これからやってくる赤ちゃんをふたりで待ってるみたいな気分がおもわず表れてる歌が私が聞いてた1988年までの後にあるんだろうなって。〈空が泣き出したら〉も違うし)? 〈窓の外は雪〉の日々がこれからは永遠に続くのです、が〈ありふれた出来事PART2〉になっちゃったみたいな? 

 

 ラブソング作れることが何より大切で、これできなくなると戦争終わらせる曲も作れないのじゃないかしら。続く。