ここのところ、『増鏡』について書いていますが、これは、あと2回書き、増鏡にも触れている記事、同時代の本などの記事を別冊的に3回としてまとめ、いったん終わらせようと思っています。
本日の『和漢朗詠集』は、ずっと古い、平安時代に成立した本ですが、増鏡の時代に読まれ、詠じられ、書写されていた本ということで「別冊増鏡に夢中」のひとつにしてみました。増鏡に登場する、○○さんもこれを読んでいたんだろうなあ、と思いながら読む本ということで。
朗詠というのは詩の朗読のような?歌のような?ものみたいで、朗詠する漢詩と和歌を集めた詩集が、和漢朗詠集。いま、お稽古事のひとつに謡(うたい)という、お能の台本を節をつけて朗読するのがありますよね。あれ、結婚式や新年会などでするかたがいるの、いいなあ、と思っていつも聞いているの。で、お能が確立されるのって、増鏡の時代の後じゃない? もしかしたら、朗詠というのは、現代なら謡を披露するような場で、詠じたものなのかしら。どうなのでしょうか?
この本は、全部読んだわけではないの。実は、書道の課題になったところしか読んでいなかったのです。書道のお手本のほうには現代語訳がついていないから、意味がわからない。そこで、字を書くとき、文庫のほうの解説を読む、という使い方をしていたら。鎌倉時代の文学を読むと、登場人物がよく和漢朗詠集を引用したり朗詠したりしているので、引用されている詩も最近読むようになったというわけ。
296番の詩。下に置いてある本の最後の1行、「自吾閑寂…」が上の本に対応しています。現代語訳があるほうには、読み下し文しかないのよ。だから、ふたつをセットにすると具合がいいと思うのね。
どこを写真に撮ろうかなあと考えて、私も閑寂に暮らしてるからこの詩にしてみたわ。あと、「前栽」という題の部分だから。この8月に小石川植物園について書きながらも、いま私たちが日本庭園として思い浮かべる、お能と同じく室町時代以降のお庭より、古い時代の日本の庭園のことを考えていたし。
京極派のお歌を読むと、日本庭園(としていま私たちが一般に思い浮かべる庭園)ではなくて、近代の色とりどりのお花が咲く花壇が頭に浮かんでしまうのね。それは、歌集と同じ時代の春日権現絵巻——昨年の夏の皇居東御苑のバラについて書いたとき思い出した絵——のお庭でもある。絵巻を寄進した人と、京極派最大の歌人(だと私が思ってる人ね)は、そういえば兄妹だものね。
和漢朗詠集は、蕪村さんの歌にも出てきて、その記事はココ。平安時代に書かれたものを、増鏡の時代の天皇陛下は手元に置いて書き込みなんかもしちゃって、江戸時代の人にはだぶん、その模写を木版印刷したものがあったりしたのかな? 今は、オフセット印刷で同じものを見ることができるの。
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