タイム日記 -42ページ目
去年10月に
亡くなった
Kくんが
作業所で作った
ビーズアクセサリー

病院退職した後に
担当保健師が
Kくんに依頼して
作成したものでした。
今では

大切な宝物

常に喧嘩ばかり
していたけど
それも楽しんで
いたんだよな。
お互いにね。
思い出せば
涙が流れてくるけど
私が泣けば
一緒に
泣いてしまう
Kくんだったから
もう泣きません

いつも喧嘩してたけど
相談室で
2人きりで
真面目に本音を
語り合った
あの日は
忘れられない
思い出。
ひねくれてて…
あまのじゃくで…
反抗ばかりして…
本音をなかなか
言わなかったKくん
そのKくんが
全ての気持ちを
本音で話した後は
凄く輝いてました。
私も本音で
色々と話したんよね。
それから
世話になってる
家族への
感謝の手紙を
一緒に書いたり
小遣いを貯めて
小さな甥や姪へ
お年玉をあげたり
プレゼントをしたり
少しずつ
家族からの
信用を取り戻すように
頑張ったね。
良き思い出です

このネックレスを
見るたびに
Kくんの思い出が
昨日のことのように
思い出されますね。
天国から
見守られてるような
気がします。
私がKくんがいる
世界へ行くまで
私との喧嘩に
負けないよう
鍛えておいてね

私も負けないよう
頑張るよ

また聞きたいですね。
「ワーカーさん
おっかねぇ~」
って。
久々にゆっくりと
モーニングセミナーに
参加してきました

役員会があったので
いつもの如く
京事務長が
朝早く
お迎えが来ました。
今日は
岩手県の
花巻倫理法人会の
伊藤会長の
ご講義でした。
幸せ、運は
求めるものではなく
やってくるもの
頭で考えてることと
心で思っていることは
違うと。
心で思っていることが
行動に出てくるもの
などというお話があり
まさしく
そうだよなぁ~
とシミジミと
感じてきました。
モーニングセミナーは
勉強になりますね。
毎回参加出来れば
良いんだけど、
とりあえず
娘の受験が
終わるまでは
少しでも
娘の傍に
付いていたいので
それまでは
欠席が多くなると
伝えてきました。
さて今日の午後に
ダルクに行ってきます

ダルクの方々
みんな良い方々なので
行くと安心感が
湧いてきます。
話もストレートに
ハッキリと
言ってくれるから
気持ち良いですね。
何年ぶりに
お邪魔するんだろ?
打合せなんだけど
凄く楽しみです

ゆっくり出来てるような…
出来てないような…
なんだろ?
家にいる時間は
増えたけど
一時的かな。
なーんだか
朝からパソコンで
いろんな書類つくり
打合せに行ったり
色々準備があって…
来月までには
終わらせるぞっ!
久々に平日の自由を
満喫しつつ
辞めたバイト先から
引き継いだ仕事の件で
連絡きたりと
まだ辞めた気がしない…
2ヶ月かけて
引き継いだけど
まだ分からなかった
みたいです

私も覚えるのに
3ヶ月は
かかったからなぁ~
4時起きなのに
眠れないですね。
このまま
寝ずに起きてようかなぁ
色々な依頼があり、
タイムでは
企業との顧問契約も
開始することに
なりました。
根本的にあるのは
自殺予防
それに賛同して
いただいた
会社の社長様が
顧問契約の
プランが出来たら
持ってきなさいと。
私の講演などを聴きに
来てくださったり
私の地味に
コツコツと
やっていた活動を
見てくれていたのでした。
嬉しいですね。
プランが出来たら
広めてくださるとまで。
なんと
有り難いことでしょう。
明日、そのプランを
作成するために
タイムの協力者と
打合せです。
影ながら
応援してくれる方々も
多くいて…
心より感謝
いたします。
本日は久々に
平日の休みを
満喫してました

1年間の
バイトの疲れを
癒す日にして。
と言っても
夜に送別会です。
それまで
のんびりしよ

娘の生まれた日
でもあり、
私が一度死にかけた日です。
平成8年1月8日
倦怠感が著しく
微熱もあり
妊娠中毒症で
年末より悪化していたのは
分かっていたけど
そんなに酷くなっているとは
知らずに
風邪かな~
と思い病院へ。
診察室へ行き
「即入院、
明後日切って子供を出す」
と告げられた。
予定日より3週間も早かったけど・・・。
付き添っていた母親を
荷物を取りに行かせ、
その間に
再度診察室へ呼ばれて行くと
主治医より
「病院に勤めてるから
隠しても分かるだろうから、
直接言うからな。
このままだと死ぬ。
母子共に危険な状態で、
明後日最善を尽くして
手術するけど
死ぬかもしれない。
もし死ななくても
脳内出血を起こして
マヒが残り寝たきりとなったり
腎機能障害で
人工透析が必要に
なるかもしれない。
覚悟しておけ。」
などと5分程度にわたる
説明を聴いて
何も返す言葉も出ずに
診察室を後にすると
涙が溢れてきました。
2日後に
死ぬかもと言われても
どうすることも出来ないよ。
その後看護師に連れられ
ずっと分娩室へ入れらてました。
助産師さんいわく
「自然分娩のほうが安全だから」
とね。
でも陣痛もなく
ただ寝ていただけ。
平成8年1月9日
夜は病室へ戻され、さらに点滴
朝起きて
検査、点滴、
そして分娩室へ。
1日中分娩室で
過ごした記憶が残っています。
平成8年1月10日
夜から朝まで 点滴
そして手術は14時予定です。
一旦 点滴が終わり
昼までまた検査。
昼過ぎ13時ころかな~
もう記憶が曖昧ですね。
看護師さんが
麻酔を効きやすくする注射を
持ってきてうたれました。
その後、立った瞬間に
ぶっ倒れて
意識はあるけど
動くことも声を出すことも出来なく
なっったのです。
もう60歳近い主治医が
3階の病室まで
階段を駆け上ってきて
看護師に
「なんでうったんだ~
指示してないだろ~!!」
と怒鳴ってる声が聞こえてました。
そう、医療ミスでした。
私は麻酔が効きやすいので、
注射は不要だったようです。
それからずっと
主治医が私の隣で
話しかけ続けてくれ
私も声も出せない、
動けない状態でも
精一杯の力を振り絞って
頷いていたのでした。
「子供の声だけは
聴かせてやるからな。
頑張るんだぞ!!」
と何度も言われ、
「私もそれまでは
頑張らなきゃ!!」
と朦朧とする意識の中で
主治医の声を頼りに
必死に頑張っていました。
平成8年1月10日(水)
14時3分
子供は無事に産まれて
元気な女の子
主治医が大声で
「聴こえるか~!!
女の子だぞ~!!」
私も必死に頷いたのを最後に
そのまま記憶がありません。
その後意識が戻ったのは
夜20時頃。
聴覚のみ戻り
目を開けることも
手も足も
体を動かすこともできませんでした。
父親が来ており
散々なことを言ってましたよ。
両親は
普通の帝王切開と思っているので、
私が主治医から
言われていたことなんぞ
全く知りません。
でも、その父親の声で
「生きてる・・・」
と思い
涙が溢れ出してました。
翌日になり
やっと目が開けられたけど
普通に喋ることは出来ません。
顔の筋肉が動かなくて。
それから徐々に回復していったけど、
3日間動けず
足を動かせるようになったのは
3日後でした。
寝返りも出来ずに
25歳にして
床ずれができました。
4日目から
歩行練習して
点滴を吊るすものに
しがみついて
目の前のトイレに行くのに
1~2分かけて。
寝たきりになるかも・・・
と言わてたのはクリア。
その後順調に回復して
1月27日退院しました。
最後の人工透析は
退院して泌尿器科へ行くまで
分かりません。
検査値も悪く
倦怠感が続いていたので、
退院後に即受診を勧められて
泌尿器科へ。
泌尿器科でも
色々と検査した結果
腎臓は綺麗な状態であったと。
ただ、疲れやすく
風邪にかかったら
高熱を出すから、
風邪には気をつけなさい
と言われてきたのでした。
人工透析も
必要なくクリア
その後の産婦人科へ行き
報告すると
驚かれました。
重度の妊娠中毒症で
血圧は200超え
出血多量で
死にかけて
輸血までして・・
お産前から腎臓を悪くし
入院していたので。
しかも輸血で肝炎等の
病気にも感染もせず
医療関係者に
母子手帳を見せると
驚かれますね。
すべてが奇跡です。
今こうやって
生きていることが
私にとっては
奇跡なのですよ。
なので、
私に出来ることがあれば
何でもやりたいですね。
生きている喜び
みんなに伝えたいです。
出産は命がけなんですよ。
なので、
自分の命も
他人の命も
すべて大切にしましょ。
この世に誕生した人は
一人一人に
何かの役目があるはずです。
また、
命を大切にして生きること
それが最大の親孝行では
ないでしょうか。
増える予定が
事情により
しばらく週1日のまま。
月末あたりから
週2回になるかな。
早く分かれば
契約更新をお断りせずに
今のバイトを
3月まで
継続できたのに…
と思いながらも
予定を入れずに
空けていた日が
自分の時間となり
今の間に
色々とやりたい事を
やっておきます。
収入は一時的に
激減するけど
まっ、
何とかなるでしょ

ここ数ヶ月ほど
激務だったから
少しゆっくりしながら
仕事します

楽しく過ごしてきました

本送別会は来週。
その後にも
プチ送別会。
産休代替のバイトで
1年だけなのに
こんなに送別会を
開いていただき
嬉しいです

それ以外にも
いつもお弁当を
売りに来てるネーチャンから
ご飯のお誘いあり
週1回、
お菓子やお弁当等を
販売に来ている
知的障害者の
作業所の職員さんから
販売している
たこ焼きを
頂いたり…
普段私のアホな行動に
付き合ってくれている
Mさんが
お弁当やお菓子を
買ってくれました。
みんなに
「私と離れたく
ないんでしょ~

」
と言うと
「そんなんじゃないよ。
手切金みたいなもんだよ

」
だと(-ロ-;)
素直になってくれたら
可愛いのになぁ…

まぁ~
生きていれば
また会えるから

最終日は
イベントがあり
みんなに
お別れの挨拶も
ゆっくり出来ないので
私お得意の
サプライズにて
お別れの挨拶をします

それは…11日まで内緒

その準備に
明後日は費やします

一人一人に
お礼をしたいからね。
二人に
別々の業務を
引き継ぎましたが
引き継ぎは
大変ですね。
教えても
すぐには
覚えきれないのは
当然のこど
失敗しながら
覚えていくものと
思うのです。
だからこそ
本日は
頼ってくる
引き継ぎ相手に
厳しくしてました。
お金が絡み
大事な仕事だからこそ
私がいる間の
私がフォローできる間に
失敗させて
覚えてもらおうと。
来週からは
一人なんだよ

と言い、普段より
パワーアップして
厳しくしてました。
明日は最後の引継ぎです。
自立してもらわなきゃね。
プチ送別会を
開いていただきます。
少人数でね。
来週に本当の送別会
あるらしい。
その後にも
またプチ送別会。
何回送別されるんだろ?
嬉しいですね

仙台の雪
強く降ってきました。
さて
これから研修です。
眠いけど
頑張ってきます

寒い朝だね。
晴れてるけど
気温はマイナス。
車がガチガチに
凍ってました

窓ガラスについた
氷がとけるまで
氷の結晶を
見ながら

綺麗だなぁ

と感じて
朝から気分良いね

そんなに
のんびりしてる
暇はないんだけど
焦っても
仕方ないしね

今日も元気に
1日頑張るよ

笑顔で
楽しくね


契約満了日まで
あと4日
残り少なくなり
引き継ぎも
終盤を迎えました。
1年は
あっという間
ですね。
この一年は
かなり勉強に
なりましたよ。
これからの
タイムの発展に
繋がることに
なるでしょう。
3月末までの延期も
求められてたけど
クリックや
作業所での
バイトもあり
契約延期を
お断りさせて
頂いてたのでした。
タイムの
新たに始める
事業の準備も
まだまだ
進んでないけど
頑張って
今週末には
仕上げます。
先はまだ見えないけど
見えないからこそ
楽しんで
明るく笑顔で
歩んでいきます。
一歩ずつ
焦らずゆっくりと

バイトで
出会った方々は
私にとって
大切な人ばかり。
みんな良い人ばかりで
これからも
付き合って
行くことでしょう

好き勝手に
色々と
やらせていただき
ありがとう
ございました

病院時代には
臨床心理士へ
任せていた
各種心理検査も
行えるようになり
PSWとしても
ちょっと
パワーアップしたかも。
いろんな
心理療法も学び
これからは
自分でさらに
スキルアップ
させていきます

カウンセラー業務も
残りわずか
以降は
ソーシャルワーカー
として
羽ばたいていきますよ

カウンセラーと
ソーシャルワーカーとは
何が違うの?って
思う方々も
多いでしょうね。
ソーシャルワーカーは
カウンセリング
だけではなく
その方に合った
支援方法を見つけだして
必要な資源を
利用しながら
自立へと導いて
いくのが
ソーシャルワーカーです。
関係機関、
関係者などと
連携調整も行ったり
環境調整も
行ったりもします。
普通では
思いつかない
不思議な支援も
行ったりも
してる私ですが
未来は
私が行っている
支援も
定着してくると
思いますよ。
これからですね

精神保健福祉士で
独立を諦めてる方々や
これから
希望を持って
精神保健福祉士を
目指している方々の
ためにも
独立しても
出来るように
整備していますね。

