娘の生まれた日
でもあり、
私が一度死にかけた日です。
平成8年1月8日
倦怠感が著しく
微熱もあり
妊娠中毒症で
年末より悪化していたのは
分かっていたけど
そんなに酷くなっているとは
知らずに
風邪かな~
と思い病院へ。
診察室へ行き
「即入院、
明後日切って子供を出す」
と告げられた。
予定日より3週間も早かったけど・・・。
付き添っていた母親を
荷物を取りに行かせ、
その間に
再度診察室へ呼ばれて行くと
主治医より
「病院に勤めてるから
隠しても分かるだろうから、
直接言うからな。
このままだと死ぬ。
母子共に危険な状態で、
明後日最善を尽くして
手術するけど
死ぬかもしれない。
もし死ななくても
脳内出血を起こして
マヒが残り寝たきりとなったり
腎機能障害で
人工透析が必要に
なるかもしれない。
覚悟しておけ。」
などと5分程度にわたる
説明を聴いて
何も返す言葉も出ずに
診察室を後にすると
涙が溢れてきました。
2日後に
死ぬかもと言われても
どうすることも出来ないよ。
その後看護師に連れられ
ずっと分娩室へ入れらてました。
助産師さんいわく
「自然分娩のほうが安全だから」
とね。
でも陣痛もなく
ただ寝ていただけ。
平成8年1月9日
夜は病室へ戻され、さらに点滴
朝起きて
検査、点滴、
そして分娩室へ。
1日中分娩室で
過ごした記憶が残っています。
平成8年1月10日
夜から朝まで 点滴
そして手術は14時予定です。
一旦 点滴が終わり
昼までまた検査。
昼過ぎ13時ころかな~
もう記憶が曖昧ですね。
看護師さんが
麻酔を効きやすくする注射を
持ってきてうたれました。
その後、立った瞬間に
ぶっ倒れて
意識はあるけど
動くことも声を出すことも出来なく
なっったのです。
もう60歳近い主治医が
3階の病室まで
階段を駆け上ってきて
看護師に
「なんでうったんだ~
指示してないだろ~!!」
と怒鳴ってる声が聞こえてました。
そう、医療ミスでした。
私は麻酔が効きやすいので、
注射は不要だったようです。
それからずっと
主治医が私の隣で
話しかけ続けてくれ
私も声も出せない、
動けない状態でも
精一杯の力を振り絞って
頷いていたのでした。
「子供の声だけは
聴かせてやるからな。
頑張るんだぞ!!」
と何度も言われ、
「私もそれまでは
頑張らなきゃ!!」
と朦朧とする意識の中で
主治医の声を頼りに
必死に頑張っていました。
平成8年1月10日(水)
14時3分
子供は無事に産まれて
元気な女の子
主治医が大声で
「聴こえるか~!!
女の子だぞ~!!」
私も必死に頷いたのを最後に
そのまま記憶がありません。
その後意識が戻ったのは
夜20時頃。
聴覚のみ戻り
目を開けることも
手も足も
体を動かすこともできませんでした。
父親が来ており
散々なことを言ってましたよ。
両親は
普通の帝王切開と思っているので、
私が主治医から
言われていたことなんぞ
全く知りません。
でも、その父親の声で
「生きてる・・・」
と思い
涙が溢れ出してました。
翌日になり
やっと目が開けられたけど
普通に喋ることは出来ません。
顔の筋肉が動かなくて。
それから徐々に回復していったけど、
3日間動けず
足を動かせるようになったのは
3日後でした。
寝返りも出来ずに
25歳にして
床ずれができました。
4日目から
歩行練習して
点滴を吊るすものに
しがみついて
目の前のトイレに行くのに
1~2分かけて。
寝たきりになるかも・・・
と言わてたのはクリア。
その後順調に回復して
1月27日退院しました。
最後の人工透析は
退院して泌尿器科へ行くまで
分かりません。
検査値も悪く
倦怠感が続いていたので、
退院後に即受診を勧められて
泌尿器科へ。
泌尿器科でも
色々と検査した結果
腎臓は綺麗な状態であったと。
ただ、疲れやすく
風邪にかかったら
高熱を出すから、
風邪には気をつけなさい
と言われてきたのでした。
人工透析も
必要なくクリア
その後の産婦人科へ行き
報告すると
驚かれました。
重度の妊娠中毒症で
血圧は200超え
出血多量で
死にかけて
輸血までして・・
お産前から腎臓を悪くし
入院していたので。
しかも輸血で肝炎等の
病気にも感染もせず
医療関係者に
母子手帳を見せると
驚かれますね。
すべてが奇跡です。
今こうやって
生きていることが
私にとっては
奇跡なのですよ。
なので、
私に出来ることがあれば
何でもやりたいですね。
生きている喜び
みんなに伝えたいです。
出産は命がけなんですよ。
なので、
自分の命も
他人の命も
すべて大切にしましょ。
この世に誕生した人は
一人一人に
何かの役目があるはずです。
また、
命を大切にして生きること
それが最大の親孝行では
ないでしょうか。