先週末、家族でお出かけしてる時、運転中のパパさんが、

「最近小型のベンツ増えたなあ。」

と呟きました。

すかさずキティ、

「ベンツって何?」

と食いついてきた。

私が、

「メルセデスのことだよ。日本ではベンツと言うんだよ。」

と教えたところ、今度は

「メルセデスって何?」

と言う。 

あれ?と思いながらもさらに私は、

「ほら、ドイツのさ、世界で一番最初に出来たクルマだよ。ほら、あれあれ!」

とちょうど前方にベンツが走っていたから指差して教えると、










「オー!! マーセイディース!!!」










って、我が子、ヘレンケラーの「ウォーター!!!」ばりに、叫んだわ。

え、メルセデスって英語読みだとそんな発音なの?って私やパパさんがキティの真似したら、もうね、全然なってないらしい。特に「マー」と、「ディス」が(ほとんど全部やないかい)てんで違う発音らしく。キティが「ちょ、まてよ。この人達、こんなに英語ダメダメなんだ。」みたいに、ちょっと驚いている感じなのを母親の私は見逃さなかった。

何回もキティに発音してもらい、私もパパさんも真似して繰り返したんだけど、キティ、ダメ親の英語の先生やるの、めんどくさくなったみたいで

“Close enough.”

まあまあじゃない?って(本当はダメダメだけど、めんどくさいから)強制終了されたわ。

我が家ではこう言うこと、よくあるんです。

もうね、英語の発音だけはどうにもならない。

(気持ちを込めて大きな文字で書いてみた。)

 

 

よく、「発音含めて綺麗な英語を話せなくても良い、何を話すかその内容が大事。」

 

と言いますね。私自身はこれは半分本当で、半分は英語が完璧には出来ないこと、どうにもならないことを納得するための言葉だと思っています。私自身の経験から。

 

そして、どこを目指すのか、それによってこの言葉の意味が違ってくると思います。

 

 

私、初対面のアメリカ人と話すと私の英語の訛りから、一瞬相手が「あ、この人(のし子)、外国人なんだ」と、本当の本当に一瞬だけど小さく驚くのが分かります。長年の経験で分かるようになったのです。

 

私と同じ風貌の、アジアンアメリカン(アジア人の親から、アメリカで生まれ、アメリカで育った英語ネイティブ)がアメリカには何百万人?何千万人?といますから。

 

だから、アイビーリーグ卒業後に就職した、ニューヨークの米企業内で私が外国語訛りの英語を話していた時に「彼女、外国人なのに英語上手だなあ。」なんて思われることは幻想のまた幻想で、現実は「彼女、言ってることはそれなりだけど、なんであんな訛った英語を話しているんだろう。」と思われている(実際そんなこと口に出す人はいないけれど)と気づくのにそんなに時間はかからなかった。

 

我が子キティがどんな人生を歩んでいくのかは私には全く分かりません。ただ、キティがどこか英語圏で仕事をすることになった際はきっと私が味わったあの何とも言えない気持ちを味わうことはない、それだけは本当にうらやましく思います。逆に日本の企業に就職したらあの時の私と同じような気持ちを味わうのかもしれないけれど。

 

さてどうなることやら、そんなことを改めて考えさせられたベンツの話でした。