夢アドの周辺が何やら騒がしくなってきた。
先日開催されたタンバリンの合同オーディション。何かドラスティックな改革が行われるような予感はしていたが、同じ事務所内とはいえ「人事移動」というのは、予想だにしない展開だったというのが、正直な感想である。
一方で慣れというのは恐ろしいもので、夢アドを長く見続けていると変な免疫力がつき、多少のことでは動じないような特異体質になってくる。これは思わぬ効能といえる。自分のような中途半端なオタクですらそうなのだから、年季の入ったユメトモさんにしてみれば、今回の案件も騒ぐに値しないような出来事なのかもしれない。
言い換えればそれほどまでに夢アドの歴史は波乱万丈で、様々な出来事に見舞われてきたともいえるが、今回の人事が悪手だったのか、妙手だったのかは、いずれ歴史がジャッジしてくれると思う。私が今言えることは移籍するメンバーも、新しく加入する新メンバーも、それぞれに頑張って欲しいということだけだ。
GW初日、現体制の夢アドをなるべく今のうちに観ておかなくてはという思いでラフォーレ原宿へ向かった。ラフォーレの6Fに音楽フロアがあることを今回初めて知ったが、侮るなかれ、これがなかなか立派なスペースでライブハウス以上ホール以下といったところだろうか。
この手の対バンライブだと、普段は目的のグループの直前に入場することが多いが、この日は暇だったせいもあり、早めに会場に入り、まったりと他のアイドルもいろいろと観察してみた。たまにはこういうのも悪くない。
過去に何度も観たことのあるグループもいれば、初めて観たグループもあった。初見のアイドルグループでいえば、去年の夏にデビューし、一部で盛り上がっている疾走クレヨンが噂どおり良かった。
さて夢みるアドレセンスである。
いつも思うのだが、ライブにおける夢アドを観ているときの、ある種のカタルシスと言ってもいいような、この多幸感は何なのだろうか。
多くの人が、オリジナルの夢アドメンバーと今の夢アドメンバーを比較し、そのアイドル性の弱体化を指摘する。確かにそうなのかもしれない。しかしアイドルグループとしての夢アドの弱体化は、皮肉なことにライブグループとしての強化という現象を引き起こす。
彼女たちはアイドルグループとしての高みを目指すことよりも、ライブグループとして成就することを目標としているように、自分の目には映る。
この日は標準的なセットリストだったが、一曲目に「フォトシンテシス」を持ってきたというのが、それなりに意表をついた選曲だったともいえる。以下「アクセラレーター」「おしえてシュレディンガー」と続く。
そしてラストは勿論「メロンソーダ」とくるわけだが、はたしてこれほどまでに感情を高ぶらせる名曲が他にあるだろうか。少なくとも夢アドの楽曲にはない。陽気な中にも哀愁が漂い、まさに「胸がキュンとなる」とはこのことだろう。確かにこの曲をエンディングに持ってくるセトリは強力で、否応なしに「夢アドのライブを観た」という実感が湧き上がってくる。しかもそれ以前に歌われたすべての曲を一瞬にして忘れさせるほどのパワーを秘めている。事実1曲目の「フォトシンテシス」は遠い過去、数分前に目の前で歌われた「アクセラレーター」や「シュレディンガー」ですら思い出すのは難しい。
だったら最初から最後まで「メロンソーダ」だけ歌っていればいいじゃないかという声が聞こえてきそうだが、そうではなくてあくまでもこの曲をエンディングに持ってくることに大きな意味がある。
ときどきこの曲がエンディング以外で歌われることがあるが、どこか収まりが悪く、この偉大なる名曲の品位を落としているように思えてしまうというのは言い過ぎだろうか。
ライブ後の特典会、寿莉亜姉さんのハイトーンに染まった髪の色を間近で見た。ステージ上でも見栄えするし、似合うか似合わないかと言われればとてもよく似合うし納得もしている。だが私は不満である。
おそらくそれは自分自身が保守的なオタクで、「変化」を嫌うからなのだろうと思う。また古くからの彼女のオタクは納得させても、今後、夏フェスや、この日のような対バンのライブで初めて鳴海寿莉亜を知る人間までは説得出来るだろうかという不安もある。
ただし、今の彼女にとってこういう変化は必然なのだろうと思う。まもなく夢アドは新たな体制になり、さらなる前進を余儀なくされる。ある意味で今の観客を置き去りにすることもいとわない覚悟は必要なのだろう。ハイトーンに染まった彼女の髪の色は昨日の観客よりも明日の夢アドのための意思表示と考えるのは、深読みしすぎだろうか。