2014年の来日公演からわずか2年、まさかこんなに早くボブがまた日本を訪れるとは。

前回の公演はZepp DiverCityという、おおよそディランに似つかわしくないライブハウスで行われ、どこか居心地の悪さを感じたが、今回はオーチャードホールという重厚感のある落ち着いた会場だったのでホッとする。

しかし、そんなことよりも来日するたびに、値上がりするチケット代金の高騰ぶりはどうにかならないものだろうか。

若者の「洋楽離れ」が囁かれて久しいが、SS席25000円ってこんなムチャクチャなチケット料金で、どうやって若い人間が気楽に観に行けるというのだろう。少なくとも「伝説的なミュージシャンだしちょっと行ってみようかな」などと考えるような値段ではない。

従ってボブを観に行くことが出来るのは経済的に余裕のある年寄りだけに限定され、場内は定年退職間近のオッサン連中で溢れていた。ポール・マッカートニーやローリング・ストーンズの客層と違うところは、ボブのコンサートには「オッサンしか」いないところだろう。

何にしても、舞台に立つ演者も年寄りなら、観客も年寄りという、実に「非ロック的」空間の中でコンサートは始まった。

以前までのボブのライブだと即興性が重視され、常に日替わりのセットリストが用意されていたが、前回の来日公演あたりから、ショーとしての様式に拘っているのだろうか、あるいは単に面倒くさいだけなのか(おそらく後者だと思うが)、ほとんど固定されたセットリストになっている。

今回の公演も現時点では、ほぼ毎日同じ楽曲が同じ曲順によって歌われているのだが、その半数近くの曲が、大昔のスタンダードナンバーで占められていた。

誤解のないように言っておくが、ボブの歌うスタンダードナンバーは決して悪くはない。例えばビリー・ホリデイの晩年の名唱でも知られる「I'm a fool to want you(恋は愚かだと言うけれど)」の枯れた味わいなどは、生で聴いてゾクゾクするほど素晴らしかった。だからといって、わざわざ日本に1ヶ月近くも滞在し、観客の前で連日披露するようなものなのだろうかという気がする。

シナトラになりきってスタンダードナンバーを歌うボブのパフォーマンスを、観客は着席して静かに聴いているのだが、会場内には明らかにシラケた空気が漂っていた。事実、自分の隣で観ていた60前後の男性客はコンサートの途中で完全に寝ていた。

とくに盛り上がるわけでもなく、淡々とライブは進行し、時おりボブが中央のスタンドマイクの位置からピアノを弾くためにステージ上を移動するのだが、その歩き方が完全に老人のそれであり、これにはちょっとしたショックを受けた。

いまだに年間100本近いコンサートツアーを行っている現役ミュージシャンだとはいえ、よくよく考えてみれば、来月で75歳になる老人なのだ。最近のボブがギターを弾かない、激しい曲を歌わないというのは、年齢的、肉体的な問題なのかもしれないと思った。

アンコールが終わり、客電が点いたときに場内から漏れた「あーあ…」という溜め息は「本当にこの内容で終わりなのかよ…」という正直な声であり、この嘆き声こそ観客席から見たこの日のコンサートのすべてを表していた。

はっきりいえば、今回のボブのステージには、観客が何を望んでいるのかという視点が完全に欠如しており、単に本人がスタンダードナンバーを歌いたいという欲求のみによって成立している演目のようにも感じた。

あるいは前述したように、年齢的にもう激しい歌は歌えない「衰え」のスケープゴートとして、この路線に走っているようにも思える。

ボブ・ディランというミュージシャンは、常に予定調和を嫌い、観客を惑わせ、置き去りにすることによって、逆に信者からの支持を得てきたようなところがあるが、今回のライブもおそらく物議を醸すことになるだろう。

はたして、あなたならどう評価する?