ローリング・ストーンズにとって、今回の「14 ON FIRE JAPAN TOUR」は、通算すると6度目の来日公演になる。

1990年、ローリング・ストーンズ初来日当時の感覚でいうと、ストーンズが日本にやってくるというのは、「事件」であり、ストーンズを生で観れるチャンスは、これが最初で最後かもしれない…というのが、当時のロックファンの共通した認識だったように思う。

その後、彼らが四半世紀近くに渡って、演奏活動を続け、ワールドツアーを行うたびに、日本の土を踏むなどという展開を、はたして誰が予想したであろうか。

ハッキリとしたデータがあるわけではないが、あれから24年、今では東京という都市は、累計すると、おそらく世界でもっともストーンズの観客動員に、貢献した都市のはずである。(何といっても、初来日の、東京ドーム×10DAYSという空前絶後の動員が効いている)

95年の、二度目の来日以降は、さすがに初来日のときのような騒ぎは沈静化したが、それでも来日するたびに、ドームで複数回のライブを行っているのだから、興行的に考えても、ストーンズにとって、東京という町は、ニューヨークやロンドン、パリといった都市と、同じウェイトを占める主要都市だといえるだろう。

正直に言うと、自分にとって、ローリング・ストーンズがロックバンドとしてのリアリティーを持っていたのは、80年代の中頃くらいまでで、初来日以降、毎回、会場に足を運んでいるとはいえ、それは現役ロックバンドのライブを体験しに行くというよりも、やがて滅びゆくロックの世界遺産を観に行くような感覚だった。

今回の、来日公演を観に行く動機も、基本的には、そんな感覚だったが、ミック・ジャガーもキース・リチャーズもすでに70歳ということを考えると、やはり今回のライブが、ストーンズにとって、最後の日本公演になる可能性は非常に高いと思う。

自分自身も、これが最後のストーンズだろうという意識を持って、ライブに参戦した。

自分の座席は、アリーナのほぼド真ん中で、ミック・ジャガーの0ズレだった。(…ただし,後ろから20列目くらい。前からは多分100列目くらいだろうww)

ストーンズのライブというと、やたら巨大なセットがステージ上に組まれているのが、いつものパターンだが、今回は、意外に地味で、また最近では、お馴染みになった、移動式のセンターステージもなくて、単にアリーナ席に花道が伸びているだけだった。

安定の30分遅れで客電が落ち、「悪魔を憐れむ歌」のようなパーカッションが鳴り響く中、真っ赤なステージライトに照らされて、ストーンズのメンバーが登場。

ストーンズ史上最強の入場シーンは、75年のスティール・バンド・アソシエイション・オブ・アメリカのパーカッション乱打からの「庶民のファンファーレ」か、81年の「A列車で行こう」だと思うが、今回のオープニングも相当にシブい。

そして、オープニングナンバーは「一人ぼっちの世界」。ツアー初日の、アブダビでの公演が、例によって「スタート・ミー・アップ」で始まったとの情報を得ていたので、これには意表をつかれた。

しかし、自分のまわりにいた観客の反応は、思ったほど盛り上がっておらず、これは上級者向けの選曲なのだろうか。

ステージ上のミック・ジャガーの動きがすこぶるいい。おそらくコンサートにむけて、日々の生活でも節制し、もちろん若さを維持するために、身体にお金をかけているのだとは思うが、それにしても、ちょっと70のジイさんとは思えないような、運動量とアクションである。

2曲目以降は、毎度、おなじみの曲が続き、最終的に日本初登場曲は、「エモーショナル・レスキュー」と、去年、リリースされた、ベストアルバムに収録された新曲の「ドゥーム・アンド・グルーム」の二曲しかなかったが、「エモーショナル・レスキュー」は、自分が、リアルタイムで、ストーンズの新曲として、初めて聴いた楽曲だったので懐かしかった。

楽曲自体は、いま聴くと、別にどうってことのない曲だが、この曲を、生で聴けたのは、ちょっと嬉しい。

途中、元メンバーのミック・テイラーがゲストで出てきて、何曲か演奏に参加するのだが、その参加曲が、すべてテイラー在籍期以外の楽曲というのには、何か理由があるのだろうか。

それでも、テイラーの超絶ギターが、キース、ロニーのギターと絡む、ジャムセッション風の「ミッドナイト・ランブラー」の演奏には、マジで震えた。

キーボードや管楽器、複数のコーラスで固められた、最近のストーンズのライブのサウンドではなく、この日、演奏された「ミッドナイト・ランブラー」のように、音が隙間だらけで、集中して聴いていると、平衡感覚が麻痺してくるような、音の整合感こそが、自分にとってのストーンズサウンドなのだと思う。

そして、この日、演奏された全20曲のうち、新曲1曲を除くと、残り19曲のナンバーが、すべて80年代までにリリースされた楽曲であるという恐ろしい事実。

これが、何を意味しているのかというと、この30年あまりの間、ローリング・ストーンズはロック史に残るような名曲を1曲も残していないということではないだろうか。

言い方を変えると、昔の曲だけ歌っていても、ライブが成立するだけの、実績がストーンズにはあり、また大半の観客も、ストーンズに過去の楽曲だけを求めている。そういった意味で、現在のローリング・ストーンズというのは、究極のオールディーズバンドだともいえるが、ひたすら過去の代表曲のみを演奏する、ストーンズの姿勢というのは、ストーンズ以降のロックミュージシャンに対して、ロックは今後、高齢化と、どう向き合って生きていくべきなのかという問題を、身をもって示しているようにも思えた。

そして、そんなストーンズにも、きっと終わりが近づいているのだろうということを、実感してしまったのは、今回のキース・リチャーズを、目の当たりにしたからである。

見た目も老けたが、それ以上に、以前のようなオーラが感じられず、ギターを弾いているときのアクションもほとんどなくて、何か淡々と演奏をしているだけといった感じだった。

観客に笑顔を見せたのも、ソロ曲のときだけだったように思う。

自分が気づいただけでも、わりと単純なリフで始まる曲のイントロを、2~3回は間違えていたし、いったいキースはどうしてしまったのだろうか?

単に、この日の調子が優れなかっただけの問題なら良いのだが、そうではないような気がする。

ミックが、いまだにあれだけ元気なパフォーマンスを披露しているだけに、キースを見ていると、その対比が残酷で、感動や興奮よりも、どこか切なさが残った今回の来日公演だった。