現在、活動するアイドルのほとんどは平成生まれが占めていると思うが、彼女達の生年月日を知ったとき、自分との年齢差に、あるいは時の流れの無常さに唖然としてしまうことがある。
彼女達がこの世に生をうけたとき、はたして自分がどこで何をしていたのか、場合によっては寸分狂わず正確な日時と時間を含めてハッキリと記憶していることがある。
別に日記帳をつけていたわけではないが今でも80年代の終わり頃から90年代の中頃くらいまでのことは記憶に残っていることが多い。
この日、芝浦で行われたアリスプロジェクト主催ライブ=生誕祭の主役であったぴゅあふるの森カノンの生年月日が90年2月11日。
1990年(平成2年)の1月とか2月の出来事は特によく覚えていて森カノンが生まれた2月11日はカレンダー上では祝日にも関わらずオレは学校に登校していて食堂のテレビで他の生徒といっしょにボクシングの生中継を見ていた。
あの日は当時、史上最強と言われたプロボクシング世界ヘビー級チャンピオンのマイク・タイソンが初めて敗北を喫した日だった。(おそらくアメリカのゴールデンタイムに合わせたのだろう、東京ドームで行われた試合は時差の関係か真っ昼間に行われていた)
ジェームス・ダグラスという超伏兵にタイソンがKO負けするという「世紀の番狂わせ」に世界中が驚き、あの日、食堂にいた連中もテレビを見ながら歓声とも悲鳴とも言えない叫び声をあげていたことを今でもハッキリと覚えている。
また、90年の2月というのはローリングストーンズが初めて日本に来日した月でもあり、ストーンズが来日公演を行うということは当時の感覚でいうと「タイソンKO負け」の衝撃に匹敵するような日本の音楽史に残る「事件」だった。
東京ドーム10公演という空前にして絶後のスケールで開催されたストーンズの日本ツアーの初日が2月14日に行われたので、おそらく北海道の産科で産声をあげたであろう乳飲み子のカノンちゃんが母親と一緒に病院のベッドから自宅のベビーベッドに移送された頃、自分はミック・ジャガーを観るためにアホみたいに連日、東京ドームに通っていたことになる。
そうやって考えると当時の自分は今よりもずっと若かったのだろうけど、22年なんてあっという間の出来事なんだなと思ってしまう。同時に「そっか、森カノンてあの時代に生まれたんだな…」と不思議な感慨に浸ってしまった。
前述したように、こういった感慨は彼女に限らず最近アイドルの生年月日を知るたびに感じてしまうことが多い。
この日、昼間は仕事をしていたのであいにく夜の部しか参戦出来なかったけど一言で言うと、とてもいい雰囲気で進行したライブだったと思う。
一人のヲタとして、森カノン生誕祭というあの場所にいれたことにスゴく幸福感を感じることが出来たし、おそらく会場に来ていたほとんどの人がそう感じていたはずだと思う。
とくに「カノンしか~!」からの「見えないから~!!」のコールには会場がとてもいい空気に包まれたのではないだろうか…。
終演後は時間があったので久しぶりに物販に参加した。
久しぶりに臺さんとも話してプリクラ貰ったりとかね。
あとは小麦ちゃん「ホイットニーが…( ┰_┰)(涙) 」とか。
ホイットニー逝ったか…。
確かに急すぎてビックリだよな。
ホイットニー・ヒューストンは生で観たことは一度もなかったけど、彼女はデビュー当時から歌がとんでもなく上手く、ルックスも良く、さらにスタイルも抜群に整っていて、おまけに血筋もいいという(彼女の叔母はアリスタレーベルの看板シンガーであるディオンヌ・ワーウィック)まるで最初からスターになることが約束されていたようなシンガーだった。
事実、ホイットニーのデビューアルバムは発売当時「歴代の黒人女性シンガー史上最大のセールス」、「ソロシンガーのデビューアルバム史上最大のセールス」、さらにデビューアルバムからのNo.1シングルヒットが3曲という新記録を生んだ。(現在もこれらの記録がすべて保持されているかどうかは不明)
当時のホイットニーのヒット曲を、いま思い返すと、やたら仰々しいバラードが多く、あれはあれでいかにも80年代のブラック・コンテンポラリーといった感じで趣がある。
芝浦から帰宅後、アナログ盤のホイットニーのデビューアルバムを20年ぶりくらいに引っ張り出して夜中に聴いてしまったが色んな意味で80年代は遠くなったと感じてしまった…。
…REST IN PEACE.
彼女達がこの世に生をうけたとき、はたして自分がどこで何をしていたのか、場合によっては寸分狂わず正確な日時と時間を含めてハッキリと記憶していることがある。
別に日記帳をつけていたわけではないが今でも80年代の終わり頃から90年代の中頃くらいまでのことは記憶に残っていることが多い。
この日、芝浦で行われたアリスプロジェクト主催ライブ=生誕祭の主役であったぴゅあふるの森カノンの生年月日が90年2月11日。
1990年(平成2年)の1月とか2月の出来事は特によく覚えていて森カノンが生まれた2月11日はカレンダー上では祝日にも関わらずオレは学校に登校していて食堂のテレビで他の生徒といっしょにボクシングの生中継を見ていた。
あの日は当時、史上最強と言われたプロボクシング世界ヘビー級チャンピオンのマイク・タイソンが初めて敗北を喫した日だった。(おそらくアメリカのゴールデンタイムに合わせたのだろう、東京ドームで行われた試合は時差の関係か真っ昼間に行われていた)
ジェームス・ダグラスという超伏兵にタイソンがKO負けするという「世紀の番狂わせ」に世界中が驚き、あの日、食堂にいた連中もテレビを見ながら歓声とも悲鳴とも言えない叫び声をあげていたことを今でもハッキリと覚えている。
また、90年の2月というのはローリングストーンズが初めて日本に来日した月でもあり、ストーンズが来日公演を行うということは当時の感覚でいうと「タイソンKO負け」の衝撃に匹敵するような日本の音楽史に残る「事件」だった。
東京ドーム10公演という空前にして絶後のスケールで開催されたストーンズの日本ツアーの初日が2月14日に行われたので、おそらく北海道の産科で産声をあげたであろう乳飲み子のカノンちゃんが母親と一緒に病院のベッドから自宅のベビーベッドに移送された頃、自分はミック・ジャガーを観るためにアホみたいに連日、東京ドームに通っていたことになる。
そうやって考えると当時の自分は今よりもずっと若かったのだろうけど、22年なんてあっという間の出来事なんだなと思ってしまう。同時に「そっか、森カノンてあの時代に生まれたんだな…」と不思議な感慨に浸ってしまった。
前述したように、こういった感慨は彼女に限らず最近アイドルの生年月日を知るたびに感じてしまうことが多い。
この日、昼間は仕事をしていたのであいにく夜の部しか参戦出来なかったけど一言で言うと、とてもいい雰囲気で進行したライブだったと思う。
一人のヲタとして、森カノン生誕祭というあの場所にいれたことにスゴく幸福感を感じることが出来たし、おそらく会場に来ていたほとんどの人がそう感じていたはずだと思う。
とくに「カノンしか~!」からの「見えないから~!!」のコールには会場がとてもいい空気に包まれたのではないだろうか…。
終演後は時間があったので久しぶりに物販に参加した。
久しぶりに臺さんとも話してプリクラ貰ったりとかね。
あとは小麦ちゃん「ホイットニーが…( ┰_┰)(涙) 」とか。
ホイットニー逝ったか…。
確かに急すぎてビックリだよな。
ホイットニー・ヒューストンは生で観たことは一度もなかったけど、彼女はデビュー当時から歌がとんでもなく上手く、ルックスも良く、さらにスタイルも抜群に整っていて、おまけに血筋もいいという(彼女の叔母はアリスタレーベルの看板シンガーであるディオンヌ・ワーウィック)まるで最初からスターになることが約束されていたようなシンガーだった。
事実、ホイットニーのデビューアルバムは発売当時「歴代の黒人女性シンガー史上最大のセールス」、「ソロシンガーのデビューアルバム史上最大のセールス」、さらにデビューアルバムからのNo.1シングルヒットが3曲という新記録を生んだ。(現在もこれらの記録がすべて保持されているかどうかは不明)
当時のホイットニーのヒット曲を、いま思い返すと、やたら仰々しいバラードが多く、あれはあれでいかにも80年代のブラック・コンテンポラリーといった感じで趣がある。
芝浦から帰宅後、アナログ盤のホイットニーのデビューアルバムを20年ぶりくらいに引っ張り出して夜中に聴いてしまったが色んな意味で80年代は遠くなったと感じてしまった…。
…REST IN PEACE.