CI導入のメリット解説 その13 企業姿勢の差が業績の差に~企業の存在価値規定の重要さ


 さて、前回企業スローガンの話をご紹介しました。

日産は古くから「技術のニッサン」
という事で、もの作りとしての技術やクラフトマンシップにこだわり、技術を売り物にされてきたことの現れですね。
素晴らしいことです。日本の成長を支えてきたもの作りの技術であり、世界に誇るべき企業です。

日産自動車は国内でトップ自動車メーカーであることは日本人なら皆知っています。
が、企業イメージでは長年トヨタ自動車に先を越されていますね。
業績もほぼ連動してしまっているように拝察します。
同額のお金で車を買うなら、日産よりもトヨタを選ぶユーザーが多かったということになります。
技術や価格ににほぼ差がないとしたら、ブランドイメージの差が業績の差と言っても過言ではありません。もちろん販売力その他またありますが。

そしてこの企業イメージの差は、両社が取ったイメージ戦略の結果と差と言うことが出来ます。
そして、スローガンに象徴されていると言うことです。
両社の事業スタンスの差~ドライブを楽しもうというトヨタと技術の日産~があったとCIや企業理念を扱う立場からは受け止めています。
小さな差が大きくなるという図式です。


能力/技術至上主義の是非と限界。
思想や志が常に能力や技術をコントロールしないとこうなる。
ということのはずです。


さて、高度成長期の日本では、技術や能力至上主義が当たり前で受験戦争(点数で計る人の能力)や近代科学至上主義の世の中でした。

技術的な力がもてはやされ、日本人は技術の高さを売り物にしながらそれを誇りにしました。

特に大企業社会では、思想や志よりも能力が偏重されてきた部分もあったはずです。
与えられた目標を実行する人材が求められましたし、力を発揮しました。
が、定年後は自ら何かを発見し創造するというチャネルが無い人がほとんどですから、濡れ落ち葉と化したと先人から御教示受けました。


 


そんな中で、オリジナリティーよりも欧米の技術を転用工夫して上手く安く作る日本の技術は高度成長期、特に前半にはそれがめざましく発展しました。
オリジナリティーや真に初めてのことにチャレンジすることはその頃はまだ少なく、欧米に追いつけ追い越せと言うことで、景気も上昇し続けるものですから何をやっても普通にうまくやっていれば商品は売れる時代が続きました。
高い思想によってもたらされた技術、テクノクラート的な技術ではなく、「技術や能力」のとらえ方に関する拡大解釈により、志や経営思想不在の技術的な方法論の独走や独善的な技術至上主義は、今になって弊害を沢山もたらせました。


挙げ句の果て、バブルの時には経営マネジメントを思想的ではなく技術的にテクニックで利益追求を遂行する傾向が強まりました。
本業より楽に利益を得ることが出来る財テクに走り、失敗した企業はたちまち破綻しました。
志不在の金儲けの世界です。


究極的には財テクと称して本業以上に不動産や株で利益をあげるという無思想なテクニックにより収益を得る、さらにはそれがメインの利益となるという恐ろしい世界がバブル崩壊時に多くの悲劇をもたらされました。
しかし、これは当時もてはやされ、手を染めない人はバカ扱いされたこともありました。


今でも、財テクのいわゆるテクニックに長けた人が頭が良い、優秀だともてはやされる傾向は残っています。
抜け駆けして網をくぐってお金を稼いだ人を褒め称える文化も残っています。


そこには、日本における世界に誇るべき文化や美しい伝統、そして先輩経営者たちの志に裏打ちされた理念、とは無縁の世界です。
エコノミーが経世済民と訳されたわが国の先達たちの思想とはほど遠い世界です。
高い志の維持により長年に渡って築き上げられた技術的な作業、古来日本人が持っていた高い価値観によるクラフトマンシップその他は軽視され、テクニカルな技術論がもてはやされたりしました。


技術や能力は万能で、起業家やプロの職業人としての思想や志の高さは二の次の様な風潮もありました。
挙げ句の果ては思想と言えば共産主義や右翼といったようなイデオロギーの問題と誤って理解されたりしてきました。
あの人は思想が入っているから危ない等というように「思想」という言葉が一部の偏った解釈をもって不変的な定義のように扱われ、それが結果として思想や志や価値観を軽視する傾向に拍車をかけました。


トヨタが、「fun to drive」とドライブの楽しみをスローガンとし、「Drive your dreams]で更に日産との差を広げ、ゴーン氏の「Renaissance」で挽回しましたが、ホンダが未来を見つめた楽しさやデザインそれを支える技術をテーマにして、自動車業界のツートップを追走しました。
技術のニッサンに象徴される事業概念の設定は、ボタンの掛け違いのようにいかんともしがたく、小さな差は大きくなり、ニッサンは残念ながら下位に低迷を続けました。順位も下げました。


そんな中でニッサンが光を取り戻しかけたときもありました。
 1999年、フランスのルノー社とパートナーシップを結んでから、この傾向に少し変化が生じました。
社長に就任したカルロス・ゴーン氏は、その強いリーダーシップで、日産のイメージ改革を推し進めました。

Renaissance~
技術だけでなく、デザインだと言うことで新しい車種が次々と登場。
ゴーン氏といえば失地回復のためのリストラ、コストカッターとしての辣腕経営者、生産部門などの抵抗勢力を力でねじ伏せたイメージが強いですが、実はそれだけでなくデザインやイメージに注目注力しジャンプのエネルギーをそこに集中した経営者でもありました。素晴らしいことです。
その結果、日産は短期間でマーチやキューブなど若い世代を中心にを続々と生み出し、大人向けの車も以前のセドリックグロリアのごっついイメージからスマートなイメージの車にシフトしましたね。



それで新たに、「人々の生活を豊かに」という理念のもと、次のような具体的な目標を掲げ、勢力的に活動を続けました。


「独自性に溢れ、革新的なクルマやサービスを創造し、その目に見える優れた価値を、全てのステークホルダーに提供する」

技術の日産から生まれ変わるためのコンセプトです。
間違いに気づいたと書くと失礼ですが、少なくとも大きなパラダイムシフトをしなければ行けないことに気づいたと言うことです。
技術の日産ではダメだとこの時点で少なくとも気が付き、社内で異論があったでしょうが、豪腕で変えたのは確かです。
これだけでも官僚的といわれた日産をここまで変えたのはスペシャルなトピックスです。
日産の本体との取引で担当窓口をしていた某プロモーション系企業のマネージャーから聞いたところによると、やはり官僚主義的な仕組みや発想、プライド、技術マターの社風はかなり強いと言うことでしたから、これを上から力で変えさせたゴーン氏の手腕はただ者ではないといえます。

ところが、私からしたら、この新しいコンセプトはやはり主体性に乏しく、日産という世界有数の自動車メーカーの独自の魅力や未来の夢が発露されていないと断言できます。
それで、未だ主体性が低く建前のような、一般論的な、曖昧模糊とした表現に終わってしまった、と言えます。
技術の日産からは脱したけれども、結果的には技術の日産を、意味的にひっくり返しただけの説明的な、極めて能力や技術的にまとめたことがあきらかな、、必要な言葉の要素をまとめただけのものに留まってしまいました。

それは何故か。

読めばわかりますが、なにかワクワクさせるような未来感や可能性が感じられないですよね。
逆に、魂とか志だとか、強く念じる思いも感じられません。
魂や志という重いテーマを明文化しないまでも、それを背景にした、やはり夢とか貢献、理想といったものがあっても良いですが、それがないですね。
以前ご紹介した、コンプライアンスやCSRを企業統治やリスクヘッジのために活用するのと同様、極めてテクニカルな手法による、「技術じゃないんだよ」と一生懸命簡潔に説明している作文と感じます。


  思想では飯は食えないと言います。
 確かにそうです。
 しかし、それだけではありません。


やはりその後の推移を見ていると、確かに変わった日産ですが、やはり技術の日産は技術の日産だった、ということなのかもしれません。
ゴーン改革は見事でしたが、彼は思想や理念の人ではなく、あくまで経営技術に長けた辣腕経営者であるために、企業理念的な改革については最適任では無かったのではないかと拝察します。あるいはそういったブレーンの不在。
ゴーン革命は日産の再生に成功はしましたが、世界で最もニーズがある自動車会社にはなり得ませんでした。
技術と能力でマネジメントを解決することによる限界ではないかなと、僕は考えています。
異論は百出するでしょうし、テクニカルな経営論者からは真っ向から否定されるかもしれませんが、CIや企業理念という立場からはこのように見ることが出来ます。


民主党政権の暗黒時代が崩壊し、反日政党社民号も崩壊し、アベノミクスが始動しました。
日本人として、日本経済の再上昇のためにも、新たな日産の再創業的な復活を望みます。
もちろん、トヨタもホンダもですし、今話題の家電業界も含めて再創業を進めて頂いて日本経済復権へ向かって欲しいと思います。


そのために何が必要か。


自動車業界で言えば、次世代型のエコカー、電気自動車関係の技術開発と市場化は、世界的な競争の中で絶対的な命題です。
もちろんそれだけでないし、そんな単純な話ではありません。
しかし技術は同時に、企業の存在目的を実現するためのあくまで手段であり、未来の繁栄を目指すために通らねばならない道であって、企業として存在する目的ではありません。
ここを大企業も中小企業も勘違いしてはいけないのです。


エコカーや電気自動車が市場化する事が目的ではなく、それを含めた事業/サービス/商品の提供を通じてどのようなカタチで社会に貢献するかと言うことです。
これをつかんだ自動車メーカーが次の時代を席巻するはずです。
新技術、新エネルギー、価格と同様のファクターです。
皆さん、技術一辺倒でテレビなどで紹介していますが、今後よく見ておいてください。
正しい思想と事業概念を確立した自動車メーカーが世界をリードすることになります。


各社、主体性あふれる素晴らしい企業が、主体性ある明確な存在価値(企業理念を確立し、事業概念で規定し、そしてスローガンに象徴する)、それに突き進むことこそが必要なことと言えます。
巷で言われる、経営理念はあくまで経営の方法、経営の方向性であり、技術的なマネジメントを司るための方針であって、存在目的を明確にし突き進むための、あくまで手段に過ぎない存在でありますから、区別が必要です。

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