ベーオウルフ 2 イラスト描くための忘備録
デネの海岸
ヘオロットの北方に崖の上に馬を進めていたフロースガール王の沿岸警備隊長は、フィヨルドの入り口の二つ高い岬の間から、見慣れぬ船が入ってくるのを見た。船足の速い、ほっそりと長い戦用のガレー船で、その船縁に立て掛けられた色付きの楯や、櫂を操る男達の具足がきらきら輝いていた。岬を過ぎて風が無くなったので、四角い縞の帆はだらりと垂、やがてはそれも降ろされて、船は多くの足を持つ海の生き物さながらに、浅い岩棚を持つ浜を目指して、飛ぶ様に進んできた。フィヨルドの突き当たりのその浜は、崖が鋭く切り立って落ち込む所であった。
警備隊長は眉を顰めて馬を回し、その横腹に踵を当てて、崖伝いに下へ向かう径へと推し進めた。浜の上のハエリニ羊歯と潮に灼かれた茂みを通り抜けた時、見慣れぬ戦船は軽やかに浅瀬へと入ってきた。乗組員は櫂を置き、船縁を躍り越えて、未だに船側に泡立っている白い澪に足を踏み入れるや、玉石の上、船を引き摺って潮の届かぬ処まで引き上げた。
十五人と長は見て取った。彼らがシナの樹の楯を船縁から外すとき、武具にも陽光が煌いた。だが、略奪を働く海賊に似つかわしい獰猛な仕草では無かった。長は再び踵で馬腹を蹴り、槍を手に彼らの真っ只中へ突っ込んで行った。蹄の音に彼らは振り向き、裏返しされた船の竜頭の舳先の周りに集まって、彼を待ち受けた。
中に一人、身の丈高く、曇天の海の様な目の色をした男が首領らしく見受けられたので、沿岸警備の長はそちらに向かって大胆に、また礼儀を失う事無く呼びかけた。
「海を越えて来た異国の方々よ、何処から来られた。そしてデネの海岸には何を求めて来られたのじゃ。見れば戦の物具姿だが、畑地を焼き払い、女や家畜を蹴散らす為に来られたようには思えぬ」
「確かに我らは武装して参ったが、戦いの相手はデネの民では無い」長身の男は答えた。「我らが何者かという事なら―――この私はイェーアトの王ヒイェラークの妹の子ベーオウルフ、この者たちは剣の同胞(はらから)、炉辺の友だ。此処に参った目的とは、数日前、ヒイェラークの宮廷に届いた噂によれば、デネのフロースガール殿が夜な夜な館を徘徊する怪物に悩まされ、それを退治する戦士を求めて居られるとの事であったので、我らは海岸を出て、<鯨(いさな)の道>に従って、灰色のバルト海を南に渡って来たのだ」
長い間、浜辺には白い波頭が砕け続け、警備の長は馬上から、目を細めて彼らを見つめていた。彼は老人であり、人を見る目が在った。やがて、頷いてこう言った。「左様か。フロースガール王と民は、長らくその様な戦士を待ち焦がれてきた。此方へ参られよ。王の館へご案内申そう」
「先ず、此処に残してゆく物の安全の事だが」ベーオウルフは手を伸ばして、その手を頭上の竜頭の舳先の膨らみに掛け、生在る物の様に撫で摩った。「旅が終わった処で、先ず世話をしなければ為らないのは、馬と船だ」
「そなた達の誇り高い船に就いては、ご心配あるな。信頼の置ける部下を遣し、満ち潮に備えて、急ぎ、櫂の垣を立て並べさせよう」老人は熱を込めて言った。「もし、そなた達が儂の眼に映る通りの勇者なら、直ぐにもフロースガール王の元へお連れ致す。長い事救いを待ち望んでおられたのじゃ」と、浜からハエリニ羊歯のハシバミの藪の中へと続く石ころ道を指した。
「それ、あちらへ参られよ」
道が細かったので、ベーオウルフ一行は一列になって、馬上の老いた長の後に続き、フィヨルドの奥へ登って行った。
灰色の甲冑の男の列がうねりながら進むにつれ、鎖帷子の輪が高く鳴った。風に撓(たわ)められた木々すらも打ち絶えた尾根の頂きに着くと、其処からは行き成り立派な敷石の道が伸びて、彼らは鎧の肩に海風の唸りを感じながら、一旦足を止めた。背後には今来た海路、即ちフィヨルドが二つの岬の間から海へ開けるのが見え、満ち潮に打ち揚げられた褐色の流木や何やかやの間には、戦船が日向ぼっこをする海豹(アザラシ)さながらに横たわっている。前方には、彼らが求めに来た未知の危険が在った。土地は足元から切り立って浅い谷となり、再び隆起して内陸の陰気な荒地となるが、一マイル程先、海岸と荒地の間の谷の窪地には、ベーオウルフが眩しげに眼を細めてみると、緑と褐色の耕作地、更に緑深い果樹園、また散らばる人家の屋根の中から一際抜きん出て大きな館が建っていた。そしてその館の方角に向かって、矢の様に真っ直ぐに、彼が今立っている立派な道が続いていた。
「あれがヘオロットで御座る」警備の長の声が耳元でした。「道は館の入り口まで真っ直ぐに続いておる。儂は海岸に取って返すが、そなた達は先に行き為され。船の事は心配には及ばぬ。しかと目配り致そう」言うなり、馬を半ば回して、背後の石ころ道を駈け去って行った。ベーオウルフ一行は彼等だけで、先に進んだ。
海岸に沿った高い尾根線を辿ってゆくと、程無く、緑の牧草地となり、牛や馬が草を食んでいた。大麦が既に畑の黒土を薄っすらと緑に蔽い、その両側に屋根をヒースで葺いた小屋の立ち並ぶ村落が在った。どの家の壁にも蜂の巣が懸かり、二三本の林檎の樹が在って、子供や犬や痩せた豚が遊んでおり、女たちは戸口で穀物を挽いたり、糸を紡いだりしながら、眼を上げて、見慣れぬ旅人を見送った。
どこも平和で穏やかに思えた―――日が未だ中天に在る今は。
近づくにつれ、集落の真ん中からは、王の館いよいよ高く聳え立った。<鹿のヘオロット>は他の家同様ヒース葺きで在ったが、破風の先には金鍍金の枝角が、誇らしげに天を仰いでいた。小高くなった入り口へと、道は続いている。其処に向かって彼ら十五人イェーアトの男は、野生の白鳥の羽ばたく音さながらの武具を鳴らしながら、歩いていったのである。
入り口には、一人のセイン(土地保有自由民)が槍に凭れていた。黒髪で、海水に洗われた黄色の琥珀の首飾りを掛けていた。一行がその前で立ち止まると、男は彼等に眼を据え、警備の長と同じ様にこう尋ねた。「このフロースガール王の館に厳しく武装して来られたとは、何方(どなた)か。また何用在って来られた?」
「我らの素性なら―――私はイェーアトの王ヒイェラークの妹の子、是成るは剣の同胞にして、炉辺の友」ベーオウルフは先と同様に答えた。「そして用向きは―――フロースガール王に申し上げたい。陛下直々にだ」
「では、少々お待ちを。フロースガール王に御名を取り次いで参る」男は、火のちらちらする背後の闇に消えた。其処からは話し声と焼肉の匂いが漂ってくる。
ベーオウルフらは扉の前の客用の腰掛に座ったが、待つ程も無く先のセインが戻ってきたので、その指示に応じて楯を重ね、トネリコの槍を壁に立て掛け、後に付いて、フロースガールの家中の者が肉の皿を囲んで居る所へ入っていった。
戸口から、多色の石を敷き詰めた床に一歩、踏み込んだベーオウルフの眼に映ったヘオロットは、真(まこと)大きく壮麗だった。館の中央の三つの炉には炎が燃え、煙が遥か頭上の屋根の開口部へと立ち昇っていた。立ち込める靄の中で、戦士等が長い卓を囲んで居り、卓上には蜜酒(ミード)の杯と猪の肉、又大麦の大きな菓子の山が並んでいた。壁面や屋根の梁には見事な垂れ布や、白いセイウチの牙で出来た飾り物が懸かっていた。腰掛の真上には、戦士等の楯や槍がぶら下っている。
フロースガールの王座は、ヒイェラークの館の様に中央では無く、奥の壇上に在ったので、イェーアトの戦士等は長い卓の列の間を通り抜けて、其処まで歩いて行かねばならなかった。彼らが通っていく時、総ての舌が動きを止め、総ての眼が彼らに、なかんずく長身の首領に向けられた。
壇の手前でベーオウルフは足を止め、堂々とフロースガールに向き合った。デネの王は両手で、彫刻のある大椅子の腕木を握り締め、身を乗り出して彼を見下ろした。