ベーオウルフ 1 イラスト描くための忘備録 | 萬日記 ガラクタ部屋とも云う

ベーオウルフ 1 イラスト描くための忘備録

自分が絵を弄るための忘備録として転載しますね。

ひらがなが必要以上に多かったです・・・

のでかなり文字を漢字入れてます。



1海を往く者


イェーアトの王ヒイェラークの大広間では、食事が済み、蜜酒(ミード)の角杯が手から手へ回されていた。最早暮れ方で、火明りの向こうには闇が集い始めており、常ならば、戦士達が、王の竪琴弾きアンイェールムに声を掛け、宴を華やかにする歌を求める頃であった。

だが今夜は、既に耳慣れた古(いにしえ)の勇者の事績を、呟き語りに聴くよりも、他に耳を傾けるべきものが在った。

今宵は座の中に髪に未だ汐を留めた海の男達が居た。氷が融け、野生の雁が北に帰って以来初めて現れた交易船の乗組員である。船長は、王の高い御座に向かい合うように広間の中程に座し、沿岸や島々、北方の海の物語を語って聞かせた。

 この小柄な男は、彫物のある大椅子から身を乗り出すようにして、両手を膝の上に置き、海の男らしく良く利く目を、煙った広間の彼方此方にさ迷わせながら、彼是の些事と共に、デネの民の偉大なフロースガールが、家中の戦士と共に座して酒を酌み交わし、誰であれ立ち寄るものを歓待する壮大な館の建立した次第に付いても語ったのである。

 「天晴れ見事な大広間で御座りました!」船長がそう言うと、席に居流れる乗組員達も頷いて、同意の囁きを交わした。「今宵、ヒイェラークの殿がいか程に豪気に御持て成し下されたこの館、これより更に奥行きが深く、天井は高いので御座ります。そうしてフロースガール殿はその破風の端高くに、金鍍金の牡鹿の角を飾り、その故を以って館を〈鹿のヘオロット〉と称して居られたが、羊飼いの掘っ立て小屋にでも住もうて居られた方が未だ益しで在ったかも知れませぬ。その館でのデネの王の日々は楽しみ薄いもので御座ります故」そこで彼は手渡された角杯からぐっと飲み、頭(かぶり)を振って、皆が先を促すのを待った。

 ヒイェラークは膝に凭れた幼い息子ヘアルドレードの耳を猟犬のそれか何かのように弄びながら、微かに笑った。「何故、デネの王はその様な館に在って、心楽しまなかったじゃ」

 「それは、王が心を喜ばせようとしても、その笑い声に外の暗闇で聞き耳を立てて居る者が誰であるか、よう判っておったからで御座ります」こう熱っぽく語りながら、彼もちらと視線を外し、正面入り口の向こうに集って来る蒼い闇に目を向けた。

 「それは誰じゃ」ヒイェラークは笑いを収めて尋ねた。沈黙の中で、彼方の海の潮騒が大きく響いた。

 船長はもっと輪を縮めようと促すかのように、聞き手達を見回した。この男が、舵の代わりに竪琴をてにしておれば、アインイェールムにもおさおさ劣らぬ吟遊詩人になれたであろう。

 「<夜の徘徊者>グレンデルでござります。」やっとそう言った。「人狼グレンデル、<死の影>グレンデル、海辺の洞窟や沿岸の潟に住い成す化け物でありました。それが、王の館から洩れる笑い声また竪琴の歌を耳に致し、ほの暗い夢を掻き乱され、起き出して荒野の果てからふらりと現れ、入り口の周りを嗅ぎ回りました。扉は何時もの様に開いておりました―――よしんば敵を防ごうと閉めてあっても、そ奴には役に立たなかったで在りましょう」聞き手は一様に頷いて、火の方に身をいざらせ、其処此処で、背後の闇に不安の目を走らせるのだった。人の子が鍛えた刃は、トロールのうからの鱗有る皮膚には立つ事が無く、如何なる閂も錠前も、彼らを締め出すことが出来ぬのを、知らぬ者は居なかったからである。

 「グレンデルは、あらゆる人とあらゆる喜びを憎み、這い込んできて、人の生命を求めました。さりながら、夜が明けてみると、フロースガール王の精鋭のうち三十が姿を消し、怪物の血に滲んだ足跡は、、彼らの運命をありありと語っていました」

 底篭る様な呟きが、みっしりと人だかりのする広間に隅から隅までを走り抜け、ヒイェラークはこう口を開いた。「それは真に不吉な物語じゃ」

 「いかさま左様。しかも其れだけでは御座いません。一旦目を覚ましますと、かの化け物は決して眠らず、繰り返し、戻って来ますのじゃ。今日に至るまで、夜になると、ヘオロットはひとの居らぬ、呪われた館となっているので御座います」

 「しかし、フロースガール殿には、デネ全土を捜してもかの怪物を倒す勇者は見つからなかったのか」

 船長は首を振った。「初めは、フロースガールの館で夜を明かそうという大胆不敵な者もございりました―――取り分け酒が廻っておる時には。しかし朝になって見ると、かれらは影も形も無く、床には血飛沫(しぶき)があるばかり。そのうちに、進んで名乗り出でる者は無くなりました」

「で、その化け物は館が空になった今も、毎晩やって来るのか」

「<鹿のヘオロット>の館に、ひょっとすると又寝泊りする者があるかも知れぬと思うので御座りましょうな。グレンデルは今でも参り、朝になると、彼奴(きゃつ)めが夜の闇の中、腰掛の間を彷徨(さまよ)い歩いた場所に、泥足の跡が在り、干潟の潮臭い匂いが残っております。フロースガール王は悲しみのうちに、そして又いつの日かきっと、人の運命を織り成す女神ウィルドが、化け物を倒して民を夜な夜なの恐ろしい<死の影>から解き放つ勇者をお送り下されるという希望のうちに老いていかれました―――が、今は最早希望も失せられました」

 長い腰掛に居並ぶ勇者の内から、独りが、両腕に膝に掛け、船長の顔に眼をひたと宛て、この暗鬱な物語が一入(ひとしお)身に沁みたかのように、躰を乗り出した。金髪の若者で、瞳は皆と同じく灰色、身の丈は半分高く、その首から肩に懸けてのなだらかな筋肉には、北方の大熊と組打ち出来様(できよう)力が見て取れた。彼は高からず低からずといった席に座していた。真に、誰かに地位を脅かされぬ限り、何れの席に在っても泰然自若として居れるような男であった。だが、何も知らぬ者の目にさえも、その貌、その挙措には、只者成らぬ様が見て取れた。何を隠そう、是こそベーオウルフ、王の妹の子にして、並み居る戦士の中で最も力優れた者であった。

 その夜、ヒイェラークの館に列なっていた男らにとって、船長の物語は、項(うなじ)の毛をちり立たせ、物陰に目を配らせる恐ろしい物ではあったが、所詮(しょせん)遠国の風説に過ぎなかった。だが、一人ベーオウルフにとっては、それは危機に瀕した友の消息であり、昔の借りを今こそ返す機会だと思われた。

 ベーオウルフの生まれる遥か以前、父エッジセーオウはウュルヴィング族の王だった勇者の一人を殺した。血を以って贖うべき復讐劇に巻き込まれ男が往々にしてそうする様に、彼もまた、若い妻を伴って海賊の荒々しい生活に身を投じた。嵐が彼らを、フロースガールの宮廷に吹き寄せ、続く長い歳月の間に、若い海賊はデネの王から並々ならぬ恩義を蒙った。エッジセーオウが世を去った後も、デネの宮廷で生まれた息子は其れを忘れはしなかった。しかも彼は自らも海賊の生活を知り尽くしており、毎年雪が融け、ブナが芽ぐみ始めると共に疼いてくる冒険への夢が、今年も早(はや)幾週間の間、血の中に燃え滾っていた。昨年の嵐の後修理を為直(しなお)し、塗り直した舳先の長い戦船(いくさふね)が、恰も牝馬が乗り手を待ち焦がれるように、船着場で彼を待っているのを思った。彼は船長の顔から眼を逸らして、仲間の顔、幾夏も共に海へ乗り出した腹心の家来達の顔をぐるりと見渡した。

 すると、影の中から、また火明りの中から、そして松明の揺らめきの中から、彼の血族であるウェーイムンド、そして若きホンドシオーホとシェーフ、又その他の面々が、眼を輝かせて彼を見返した。それらの眼は、今一度心を一つにして戦船に乗り込もうと、語っていた。

 そこでベーオウルフは立ち上がり、広間を横切って行き、ヒイェラークが幼い王子を膝にして座っている王座の傍らに行った。「我君ヒイェラーク、海へ乗り出すお許しを頂きたく存じます」

 ヒイェラークは、若い甥に鋭い眼を向けた。「海に乗り出す許しは、今年も又与えるつもりじゃ。だが、そちの心に有る事は何か」

「父が真の友を求めて居た時、デネのフロースガール王こそはその友に成って下さいました。二親に住む所与え、母はそこで私を生む事が出来ました。私の最初の記憶とは、王の暖炉の前で、狼の毛皮の上で寝ていた事です。王が、父の殺した男の身代金を払い、ウェルヴィング族との間に和を結んで下さったので、私が六っになった夏、父は故郷へ戻る事が出来ました。どうやら今度はフロースガール殿が真の窮地に立たされている御様子、御恩に報いる時が来たようです」

 ヒイェラークは頭を垂れ、その面上には影の如く悩みが立ち込めた。

 「そうであろうと思った。そうであろうと・・・・妹の子ベーオウルフよ、そちは我家中一の戦士、そしてこの子を除けば、儂に残された唯一の身内じゃ。そちがそのような危ない企てに乗り出すのを見送るは辛い。

 だが、男は借りを返さねば成らぬ。行け。だが、忘れるな。この地の岸壁には常に、そちが戻ってくるのを待ち受けている眼が在る事を」