ジークフリートの質問3(ミクシー内転載記事01)
第二幕第二場
ここも長いといえば長いです。
特にジークフリートのソロのパートの部分森の囁きという有名な曲で・・・
眠りに誘われます。(爆
第一幕でジークフリートに感情移入に失敗すると殊更落とされます。(笑
テキスト的に読みつけると流れ的には
ミーメとの違い、ミーメの血を受け継いだ子供はミーメに似るのか?
自分の母親はどんな人だったのだろうか?とか。
孤独で淋しい←この辺はテキストには現れません。
行間を見るとそういう思いがあるのです。
事細かに渉って御大は説明していきます。(なげーよ・・・('A`)
この繊細で感情豊かである文章が感覚的にオミットされがちなため、単なるDQNであると思われてしまうのです。
(それで話が通じてしまうのが御大の凄い所?)
ベートヴェンの田園に通じる小鳥の囀りのモチーフが流れ、(ライトモチーフの誕生)多少は色付けされますが、基本的にはファフナーが登場するまでは平坦です。
御大は此処でギャグをかませて見ようという試みがなされてますが・・・・
滑ってます。(^-^;)
ので好意的な解釈で進めないと話が進まないので、好意的に・・・
第一幕第一場でジークフリートの登場の時の台詞
森で、ステキな仲間が現れないかと笛を吹いてみた。
そしたら藪の中からこいつ(熊)が現れた。
そいつは家にいる奴よりもマシだったので連れてきたんだ。
という伏線が在ります。
今まで笛を吹いても狼とか熊とか
(・・・・ってやっぱりあまり好きではなかったのが本音です。)に出会っていないけれど、小鳥の囀りの真似をすると例によってロクでもないものに出会います。
ファフナーの登場です。
ファフナーの件は場面的にはとてもカラフル(?)なので問題は無いですので次いきましょう。
>>ファフナー
>>お前が斃した者の名前を知るがいい、嘗ての巨人族ファフナーだ・・(前後大幅略)
(個人的には指環を持っているのに何で大蛇(オロチ)に姿を変えて森に住んでいなきゃならんのー?という突っ込みをしたいのが正直なところです。
御大もその辺を第二幕第一場でアルベリヒが突っ込んでます。
一応ゲルマン民族のジークフリート伝説ではレギンの兄がそうなっているので踏襲するしか話は進まないのでけれどもね。)
此処で小鳥が涼やかな女性の声に替わるシーンでほっとします。
ああこれでむさい男の声からカイホウサレルヨー
(´-`).。oO
ワーグナー以前のジークフリートは竜の血を全身に浴びてそれ以後無敵になったと在りますが、それだと小鳥の声を聞けるようになったというエピソードが入りません。
原作に忠実だと心臓を食すシーンをさらに加えなければなりません。
最初ワーグナー流の解釈の持っていき方に昔は激しく反発したことがあります。
「全然カッコよく無いじゃん」と。
「肩に菩提樹が落ちてこないと様にならないよ」と。
正直、北欧神話、ゲルマン神話(ニーベルンゲン・リート)から、ジークフリートを見知った方ならそう思うのではないでしょうか。
所が指環四部作の一エレメントと考えると総てが纏まりを魅せ黄昏に収束して行く事を実感したことがある人間にとっては、この変更が実に的を得た表現であると言えるのではないでしょうか。
確かに劇場では血だらけになった主人公を表現するには粗不可能ですし、その後の小鳥の言葉を理解できるエピソードだって削除対象になりえます。
ところが、血を嘗めたという仕草を加えることにより無敵にはならなかったが、小鳥の言葉を聞き分けられるようになると仕組みの説明が加えられ後世に続く演出家の材料と成り得たわけです。
音楽的にも楽器の表現から、人間の声に移ります。
男ばかりの声の中にきらきらと女性の声が栄え渉る感じです。
余計に美しく感じてしまいます。
逆に下知識が無く素直に入っていけたら一つの縦糸と、横糸の組み合わせが美しく交差しているのをみつけるでしょう。
それでも抵抗ある方は折り合いをつけるまで時の流砂にまかせるしかないですね。
