力強く生きていく事を心に決めて
紬野は一歩を踏み出します

それでは、第六話、始めまーす

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離婚当初移り住んだ、小さな2DKハイツ





仕事で忙しく非協力的な母(59歳)
自由奔放で野生的な息子(6歳)
おとなしすぎる娘(3歳)
 
4人での生活が始まった



まだ携帯がない時代


家に帰るまで
子供達が無事でいるのかわからない
心配過ぎる毎日、、



母は普通の『おばあちゃん』ではなかった
子守りは嫌い、家事はしない
わたしが仕事で帰りが遅くなっても
子供達の世話を頼むことはできなかった



うちの場合、母でなく

誰よりも頼りになる「優しい父」が
すすんで子供達の世話をしてくれた


それでも
どんなに急いで走り回っても
どうしても手が足りない


不安、緊張の日々の連続、
ストレスはとっくに限界超えていた








子供達を心配しながら
「どうにか無事でいてくれ」

と祈り信じるしかなかった
朝から晩まで仕事で走り回るわたしに


「子供達をほったらかして
キャリアウーマン気取ってるんじゃない❓」


「わたしは忙しいんだから、頼らんといてね!」




母の心無い言葉が
さらにわたしの心を傷め続けた



営業の移動中、車を運転しながら涙が溢れ出る
(どうしろというの、、、体はひとつしかないのに、、フルタイムで働かなきゃ食べていけないし、、)


悔しさ、情けなさ、孤独感
で、心がどうにかなってしまいそうだった

車の中で声を上げて泣いていた



それでも、
営業先の玄関に到着したら
涙で腫れた真っ赤な目を冷たいタオルで冷やし
深呼吸で気持ちを切り替え
必死で笑顔を作る






精神的に限界の状態
子供2人連れての生活は
本当に必死だった  

あの頃のことは、今思い出しても
胸が詰まります。。




平成とは言えまだまだ
男社会全盛期




女性だからとか、子供が居るからとか
職場で甘えは通用しない



子供が熱を出せば 
車に乗せて、営業に走り回ったし

連れていけない時は
1人で家に寝させて仕事に出るしかない


度々、営業の途中で家に寄っては薬を飲ませ
不安で寂しがる子供を置いてまた仕事に戻る

ごめんね、ごめんね、、
胸が張り裂けそうだった


さらに




セクハラ、パワハラ、モラハラ
今ならすぐに問題にしてもらえる事も




当時は当たり前に横行していたが
そんなものどうでも良かった


気にする余裕すらないのだから、、
右から左へと受け流していた


負けない‼️
子供の為に、絶対負けない‼️
子供達に惨めな思いは絶対にさせない‼️


バレーで培った
どんなにピンチでも諦めずに前を向く精神力








を大発揮し






次々に成績を上げるわたしに対して
他の社員からの嫉妬もあったが


ダントツの結果を出していくにつれて
トップクラスの人々と関わる機会が増えると


嫉妬や噂を楽しむ人たちとは
見てる世界が違ってくるのを感じていた




そして、、3年経った頃から


年収は
男性サラリーマン平均を余裕で超えていった


「YES!!」




興味本位で試した
住宅ローン与信審査も・・・・

すんなりクリア



あれ!ローン通るんだ
じゃあ、、

よし!ここらで一発
一戸建てを購入しよう!
(ほんまかー!)


まさかの・・・・

シングルマザーでも、、


一軒家が買えた!




苦労の日々、涙の日々を思い返しながら
わたしは暫く達成感に浸った・・・・


ところが、、
達成感の後、嘘みたいな反動が・・・・



そう、あの


リーマンショック!!
で、日本の経済がひっくり返った



金融業を生業としていた私のもとにも
思いっきり、その影響は来ました(涙)




次回第七話では

一軒家購入の喜びモードから

一気に急転落・・・・ 
人生最大の悲しみが訪れることになります



この人生何??

火事場の馬鹿力
使いすぎやろーーーーーー 泣


それではまた、次回をお楽しみに!
紬野の人生劇場は
まだまだドキドキが止まらないー