ナチスの原爆開発秘話(7/7) | 古都、老翁(壷公)がいた 翁は大壺を持ち 毎夕刻 壺に躍り入る              傾国に翁が世辞を語る/【壺公慷慨】

古都、老翁(壷公)がいた 翁は大壺を持ち 毎夕刻 壺に躍り入る              傾国に翁が世辞を語る/【壺公慷慨】

 媚薬を売る壺公仙人(涯 如水)が愚考・独行・栴檀の日々 それ 快適にして快活   愚考する諸々に呵呵大笑  日々之好石碑 
 放浪生活は人生の過半に及び  齢七十歳を迎えるも  デラシネ(根無し草)の彷徨から次なる世界に・・・・・ 涯 如水

☆彡★ ナチスによる原爆開発はこうして阻止された =7/7= ★彡☆ 
❢❢❢ ノルウェーの重水工場をめぐる酷寒の壮絶な秘密工作 ❢❢❢

原爆阻止ー26

グルース作戦班がノルウェーに到着する前から、イギリス特殊作戦執行部では工場内にノルウェー人の協力者を確保しており、詳細な工場の図面や操業計画などの情報の提供を受けていた。
 破壊工作班はこの情報を基に、ケーブルトンネルと窓を通って地下室に進入した。 工場内では、ノルウェー人の留守番担当者のみに出会い、彼は作戦に協力するつもりがあった。

破壊工作班は重水用の電気分解槽に爆発物を設置し、彼らが逃走するのに十分な時間を稼げる信管を取り付けた。イギリスのサブマシンガンが意図的に現場に残された。
 これは、破壊工作がイギリス軍によるものであって地域の抵抗活動によるものではないことを明確にし、報復行為を緩和させるためのものであった。 信管にまさに点火しようとした時に、非現実的なエピソードがある。

ノルウェー側の留守番担当者は部屋のどこかにおいてあった自分の眼鏡を心配し始めた。 戦争中には新しい眼鏡を手に入れるのはほとんど不可能であったのである。 彼の眼鏡を皆で必死に探し始め、ようやく見つけ、それから信管に点火された。 爆発物は爆発し、電気分解槽を破壊した。

この襲撃は成功と判断された。 ドイツの占領中に生産されたすべての重水、500 kg以上も電気分解槽の操業に不可欠な設備とともに破壊された。 3,000人に及ぶドイツ兵がこの地域に派遣されて特殊部隊を捜索したが、全員が逃げ延びた。
 彼らのうち5人は400kmにわたってスキーでスウェーデンに行き、2人はオスロへ向かってノルウェーの抵抗組織Milorgの援助をし、4人はさらなる抵抗活動のために地域に留まった。

原爆阻止ー29

操業再開と連合軍の空襲
この攻撃では修復不可能な被害を工場に与えたわけではなかったが、操業は数か月に渡って停止された。 ヴェモルクの工場は4月には復旧され、ドイツ側の警備が非常に厳しくなっていたことから、イギリス特殊作戦執行部は再度の特殊部隊による襲撃は非常に難しいと結論した。

工場での生産が再開されてすぐに、アメリカ陸軍航空軍はヴェモルクに何度も空襲を行うようになった。 11月には、B-17爆撃機143機による大規模昼間爆撃が工場に対して行われ、711発の爆弾が落とされたが少なくとも600発は工場から外れた。 しかし被害は極めて広範囲のものであった。

かつてはドイツ軍の迎撃部隊のために非現実的であった昼間爆撃が、夜間爆撃の代わりにこの年の前半から実行可能になったことで、地上攻撃の必要性は薄くなっていた。
 ドイツは、空襲でさらなる被害を受けると考え、工場を廃止して残された資材と生産設備をドイツに移すことを1944年に決定した。

ティン湖における「ハイドロ」の撃沈
この地域で唯一訓練を受けていた特殊部隊員であったKnut Haukelidは、重水を搬送するドイツの計画を通報し、支援を集めてこの搬送を阻止しようと申し出た。
 彼はティン湖を渡って重水を輸送する鉄道連絡船を撃沈することを決めた。 彼は見覚えのある連絡船の乗員に話しかけ、この機会を利用して船底に侵入して爆弾を仕掛け、その後ひそかに脱出した。

8.5 kgのプラスチック爆弾に2個の目覚まし時計を利用した信管が取り付けられ、重水を入れたドラム缶を積んだ貨車をティン湖を通って航送する鉄道連絡船「ハイドロ」の竜骨に仕掛けられた。
 1944年2月20日の深夜に爆発してすぐに連絡船とその積み荷は深い湖に沈み、最終的に当初の任務の目的を達成して、ドイツの原子爆弾開発計画を停止させることができた。

原爆阻止ー27

この連絡船の沈没により、多くのノルウェー人の市民も死亡した。 目撃者は、沈没後に鋼製のドラム缶が浮いていたことを報告し、実際には重水を入れていなかったのではないかという疑いが浮上したが、戦後に記録を調査したところによれば一部のドラム缶は半分だけ中身を入れてあり、そのために浮いたのだということがわかった。
 このうちいくつかは引き上げられて、ドイツに運ばれたかもしれない。

2005年に、湖の底の捜索が行われて26番という番号の入ったドラム缶が引き上げられた。 それに含まれていた重水は、ドイツ側の記録に示された濃度と一致しており、出荷は囮ではなかったことが確認された。
 しかし、多くのドラム缶に入っていた重水の濃度は、核兵器開発に役立てるには薄いということも指摘された。

これが出荷に際して厳重な警戒が行われていなかったこと、そして連絡船自体が積み込みの遅れに際して捜索されなかったことを説明できるかもしれない。  映画「テレマークの要塞」の中では機関車と列車が写っており、いくらか非現実的なくらいドイツ兵で固められている。
 レイ・ミアーズによるBBCの取材では、実際のところ指揮していた将軍はこうした特別な兵士の配置を命じていたと述べられている。

破壊工作をした特殊部隊員には知らされていなかったことであるが、イギリス特殊作戦執行部では、最初の作戦が失敗に終わった場合にHerøyaからの出荷を攻撃する2番目の作戦班を配置する「プランB」が用意されていた。
 解体された工場の設備は後に、核関連機材の押収部隊であるアルソスミッションの部隊員によって、戦争終盤に南部ドイツで発見された。

原爆阻止ー28