「嫁」という立ち位置は、微妙だ。
 
 
 
「息子」がみんなそうか?は、わからないが…
 
主人は、嫁のわたしが「〇〇(義実家)行く?」と促さないと、
自分からは、いわない。
 
 
わたしに気をつかってのことかは、わからない。
 
ただ、あれこれ義両親のことを心配して、
気配りしているのは、いつもわたしのほうだ。
グループLINEの連絡だって、いつもわたしがしている。
 
 
義母だって、自分の息子のことはわかっていると思うが、
いざ、会えば、息子(主人)と孫へ目がいくものだ。
 
仲がいいほうだと思う。
会えば、話が弾む。
 
でも、やはりお互いどこかで、線引きをしている。
 
 
 
 
わたしは、「長男の嫁」だ。
結婚するときは少なからず、「いつかの将来」の心配をした。
 
 
そして、義母もまた、長男の嫁である。
 
結婚後、義両親のことで、かなり苦労した時期があり、
 
「自分は子どもの世話には、絶対にならない。」
「わたし(苦労した自分)のようには、させたくない」
と口癖のようにいっていた。
 
 
単純に、「そうなんだよだれホッ」と安心もしたが、
 
なにか大きな決断をするとき…、
 
例えば、家を決めるときなんかも、
義両親の反応を気にしないでは、いられなかった。
 
 
 
家の購入を慌てる必要はないと思っていたが、
 
その頃は、自分のなかでいろんな焦りがあり、
上の息子が2歳になる前に、家を買うことにした。
 
現在は、もう少し「ゆっくり考えればよかった…」と後悔もある。
 
主人の実家から離れたこの土地に、家を買ってしまえば、
いつかの不安」を抱えなくて済むとも思った。
 
 
 
 
義両親にお金を助けてもらおうだなんて、まったく思わなかった。
 
そんなことをしたら、それを理由に同居する案だとか、
面倒な問題が発生しかねないからだ。
 
 
 
 
 
対して、東京に住む義弟は、
家を建てるときに、親に資金援助を要求していた。
 

次男だし、親とは離れた土地にいて、

さらに、兄が両親と同県にいるのだから、

何の義務も感じないだろう。

 

 

そして、お金を助けてもらいながら、

義父が倒れたときに、頼んでも来てくれなかった…。

 

酷い人だと思った。

 

 

 

 

主人が癌になったのは、義父の件だと思っている。

 

そして、わたし達がすごくつらかったあの時期に、

何も助けてくれなかった義弟のことを、

わたしは、恨んでいる。

 

名前も、聞きたくないほどだ。

 

 

 

同じ思いをしてきた、主人や義母も「同志」と思いたいが、

どうも、「他人」のわたしと同じには、ならないらしい。

 

わたしがこれほど幻滅しているのに、

義母にはいまだ、かわいい息子なのだ。

 

わたしにも、息子がいる。

将来の自分も、そうなるかもしれないから、仕方ないと思っている。

 

 

でも、名前を聞くたびに、

わたしは、能面のような顔になり…

 

「ひどい息子ですよね。

わたし大嫌いなんで、名前出さないでくれます?にっこり

と言いたいのをグッと我慢する。

 

 

 

主人も、どう考えているかわからない。

 

実の弟だから、わたしと同じようには、

きっと思っていないだろう。

 

 

そこは、ずっと平行線。