□中世263.中世舞踊史(年代順) ◇C
[ゴロ]京子は/風流(ふうりゅう)に盆踊りする/いつもの国で
(狂言・幸若舞(こうわかまい))(風流踊り(ふりゅうおどり)・盆踊り)(出雲阿国(いずものおくに))
[句意]京子は風流に盆踊りをする、いつも訪れている国で、という句。
[ポイント]
1.舞踊は狂言→幸若舞→風流踊り→盆踊り→阿国歌舞伎と発展した
[解説]
1.狂言は、能楽の合間(あいま)に演じられた軽い滑稽(こっけい)劇。
2.幸若舞は、もともとは室町初期に生まれた曲舞(くせまい)と呼ばれた踊りで、折烏帽子(おりえぼし)と直垂(ひたたれ)で散文的なことばを歌いながら舞った。しかし曲舞の有力流派である幸若家の台頭で幸若舞と呼ばれるようになった。草子物・軍記物に節と簡単な舞をつけたもの。織田信長・豊臣秀吉に愛好され、江戸幕府の祝言(しゅうげん)の舞として採用された。
3.盆踊りは、風流踊りに、仏教行事の念仏踊り(念仏を唱えながら鉦や太鼓に合わせて踊る)が結びついたもの。霊がこの世に戻る盂蘭盆会(うらぼんえ)に霊を慰めるために老若男女が太鼓などをたたいて踊る。
4.阿国歌舞伎は、1603年に出雲阿国(生没年不詳)によって始められた念仏踊り。女性が男装して、筋立てに従って踊った。異様な風体や享楽的な雰囲気が人気を博した。出雲阿国は、出雲大社の巫女といわれる。戦国時代の後期から江戸初期に京都・桑名・江戸で阿国歌舞伎を始めた。
〈2014同志社大・文:「
17世紀初めに出雲大社の巫女の出身といわれる出雲阿国が、京部でかぶき踊りを始めて人々にもてはやされ庶民の娯楽となった。やがてこれをもとに簡単なしぐさを加えた女歌舞伎が生まれた。j女歌舞伎はそののち風俗を乱すという理由で汪戸幕府によって寛永6年(1629)に禁止された。
【設問j】女歌舞伎が禁止された後、少年たちによって演じられた歌舞伎を何というか。漢字で記せ。
」
(答:若衆歌舞伎)〉